日本ファブテック株式会社
橋梁事業本部 設計本部生産技術部生産技術課長 大庭 妙子
私は、平成4年に日本ファブテック(当時、東京鐵骨橋梁製作所)に入社しました。正直、会社を選ぶ条件としては「自宅から車で通勤可能な会社」程度ではありましたが、これが私と橋との出会いになりました。
最初の配属先は原寸職場のCADのオペレーターです。当時の作業長の口癖は「図面は信用するな」でした。寸法に矛盾は無いか、干渉していないかなど、常に疑って見ることにより見落としそうな不具合を見つけることができるとのことで、この時の指導・経験が今の業務にも生かされていると感じています。
図面が読めるようになると、徐々に工務系の仕事を手伝うようになりました。
入社10年を過ぎる頃には、施工計画書や各種報告書など、一通りの書類は作れるようになり、次第に手伝うだけでは物足りなくなりました。上司に「担当工事を持たせて欲しい」と何度もお願いしましたが、当時はまだ女性技術者は少なく、前例も無かったため、すぐに良い返事はもらえません。
しかし「自分が面倒を見るので担当工事を持たせてみては?」と言ってくれた、ある係長のお陰で担当工事を持つことができました。私が「事務員」から「技術者」となる「きっかけ」となり、とても感謝しています(本当はその係長が自分の仕事を減らしたいと考えていただけだったと思います)。
耐震補強工事のような小規模物件から始め、鉄道工事で使用する仮設工事桁から、都内の本設鉄道橋まで数多く担当したので、山手線を1周すると私が携わった橋梁をいくつか通過することができます。また、「東北新幹線新青森駅高架橋」や「東北縦貫線橋脚・橋台」(上野東京ライン)の大規模プロジェクトに携わることができたのは、大きな自信となりました。
平成25年からは設計技術の習得のため、自ら希望して設計部へ配属となりました。初めての部署異動で一から覚えることが多く、40歳を過ぎてからの勉強は困難を極め、設計部長から「お前はそのレベルか…」と、ため息をつかれていたのを思い出します。
設計部でも小さな鉄道橋や歩道橋の担当から始め、半年後には県や国土交通省の道路橋も担当するようになり、高速道路会社のランプ橋では付属物(検査路・排水装置・伸縮装置)の詳細設計も担当しました。複雑な経路や取り合い構造を考えるのは、かなり苦労をしましたが、とても充実した楽しい時間でした。高速道路を夜間通行止めにして、多軸台車を使用した一括架設を見学した時の感動は今でも覚えています。
平成27年からは生産技術部で再び製作管理を担当しています。その年には鋼橋技術研究会から「ブリッジエンジニアメダル」をいただき、少しずつですが「技術者」として胸を張れるようになってきたかなと感じています。
現在、鉄道では「東京駅北通路改良」や「御茶ノ水駅改良人工地盤」を担当し、道路では国土交通省の東北地整や関東地整の現場代理人をしています。
今の目標は「メタジョ」仲間を増やしたいです!鋼構造(メタル)の女性(ジョ)と交流を深め、働きやすい環境や産休・育休・介護等からの復帰しやすい職場はもちろんのこと、「女性ならではの愚痴」なども話せる仲間を増やしたいと考えてます。
次回は、私が工務の仕事を始めたばかりの頃から大変お世話になっている、ジェイアール東日本コンサルタンツの工藤伸司さんにバトンを渡します。