執行役員技術工事本部 PC技術部 部長
佐藤 徹
私は、幼心にモノづくりの仕事がしたいとの思いで長岡高専土木工学科に入学しました。その高専時代の卒業研究は、確かじゃんけんに負けたことが原因で河川の水質検査を行っていましたが、正直、この手の研究には全く興味はなかったようで、コンクリート工学で日本道路公団出身の高橋傳先生にPC橋を、そして所属していた硬式野球部の顧問で鋼橋メーカー出身の北村直樹先生に橋梁工学を教わったことが橋梁に興味を持ち始めたきっかけとなった気がします。
そして、卒業時は、就職難という時代背景もありましたが県内に思うような建設関係の就職先も無く、橋梁を行っている会社で新潟に支店と工場のある岐阜の昭和コンクリート工業に入社することになりました。 入社後は、岐阜と東京支店、そして現場と行き来しながら小規模なPC橋を中心に設計を行っていましたが、そんな中、高速道路橋の工事を受注し大手ゼネコンとのJV工事に参加する機会を得て、当時まだ実績の少ない外ケーブル橋の設計を行うことができました。
そして30歳代になり次のステップアップを考えた時、高速道路の設計監理技術者になるには技術士の資格が必要なことを知り、この外ケーブル橋を経験論文に技術士にチェレンジし無事合格することができました。
この資格取得をきっかけにいくつかの設計監理技術者を経験し、そして新東名高速道路の複合トラス橋である猿田川橋JV工事に参加できたことは大きな経験となりました。この業務では、自分の技術力不足でご迷惑をおかけしていると感じながらもJVの大林組の皆様には大変お世話になり、多くのことを学ぶ機会を与えて頂いたことに大変感謝しています。
同時に30歳代半ばからプレストレスト・コンクリート建設業協会(通称「PC建協」)の活動に参加することになります。まずは設計実務者が中心である設計検討小委員会に、そして40歳になるとその親部会にあたる技術部会にも参加するのですが、これらの活動は現在も継続しており、技術部会が13年目、設計検討小委員会は18年目と経験年数だけで見れば1番長い委員となっています。
そのPC建協活動で特に印象に残こる業務と言えば2007年に発刊した「PC道路橋計画マニュアル[改訂版]」に携わったことです。
当初、設計WGの一委員としての参加でありましたが、他の委員の異動もあり途中から委員兼設計WG主査という立場となり全体取りまとめ役に。
経験不足と実力不足から逃げ出したい気持ちもありましたが、何とか資料を発刊することもでき、その後、PC工学会が主催する「PCシンポジウム」のワークショップや「PC技術講習会」などで報告できたことは、ようやく自分も技術者として認められたように思いました。
PC建協の様々な活動を行うことは会社業務に多少なりとも影響が生じ苦労はあるものの、その苦労によって多くの方々と議論し交流を深められたことは今の自分の財産にもなっています。
また、地道は活動ばかりですが、何かを一生懸命やることで自分を成長させてくれるチャンスに恵まれる機会も増え、お世話になった方々には感謝するとともに、今後もPC橋の普及に貢献したいと考えています。
次回は、そのPC建協の活動で大変お世話になっている株式会社富士ピー・エス土木設計部の左東有次様にお願いしたいと思います。