清水建設株式会社
土木技術本部橋梁統括部橋梁設計グループ 主査
小野 秀平
大成建設の大嶋雄さんからバトンを受けました清水建設の小野です。 私は岡山県で生まれましたが、高校を卒業するまで四国で育ちました。小学生の頃は宇高連絡船を使って岡山に帰省していましたが、1988年に瀬戸大橋ができて、本州が劇的に近くなったと感銘を受けたのを記憶しています。大学に進学し土木工学を専攻したのも、子供のころ人々の暮らしを豊かにする橋に魅せられたことが一因であったと思います。 大学3年時に、担当の先生に「大きな現場にインターンシップに行きたい」と頼みこみ、尾道今治ルートの小浦高架橋(PC橋)の現場へ1カ月の研修に行かせてもらいました。研修先の指導担当の方には、「橋を造りたいのなら、橋梁の専門会社の方がチャンスがあるかもよ」とアドバイスをいただきました。その時の私は、橋へのこだわりは強くなく、「どこでも、なんでもやります」とゼネコンである清水建設を就職先に選びました。入社後の配属は、なんと本社技術部の橋梁部署。運命めいた偶然で、橋梁と私との繋がりが始まりました。 清水建設に勤めてからこれまで、橋梁に係わる仕事を主に担当しています。担当、配属された橋梁を振り返ると、田中賞をいただいた橋梁が多数あります。はまゆう大橋、バイチャイ橋、矢部川大橋、余部橋梁、各務原大橋、太田川大橋、小名浜マリンブリッジ。 業界の同世代を見回してみても、貴重な経験を積ませてもらっているなと感じています。近年は、PC橋の設計からしばらく離れ、ペデストリアンデッキ、大型仮設ベルコン施設、海洋人工地盤などの設計や開発に従事していました。また、現在は高速道路のリニューアル(床版更新)工事の詳細設計を担当しています。橋梁設計で得た知識や経験をベースに、どんな構造物の設計も抵抗感なくできるのが今の私の強みだと考えています。 また、若いころより社外委員会に参画させていただく機会を数多くもらいました。本稿のタイトル〝芝蘭結契″は、「よい感化をもたらす才能・人徳に優れた人との付き合い」という意味です。まさに社外委員会では、様々な分野の第一人者との委員会活動を通じて、沢山の刺激をもらい、技術者として幅を広げる契機となりました。その中でも、延べ11年間務めさせていただいている「橋梁と基礎」編集委員会で、2012年8月号「災害復旧で活躍する技術・橋梁」の特集主査を務めたことが特に思い出深いです。 これは、東日本大震災の被災地で活躍する仮橋にスポットを当てた企画で、市ヶ谷の防衛省に出向き、陸上自衛隊の保有する架橋機材や復旧活動の執筆をお願いに行きました。当時の私は30代半ば、橋梁分野の大御所編集委員に脇を固めていただきながら、橋梁と基礎で初めての仮橋をメインとした特集に挑戦しました。なかなかの重責でしたが、諸先輩方のご助言のもと、妥協せず手抜きせずの特集号を発刊することができたと自負しています。このように、様々な場で尊敬できる方々より刺激を受け、自身を成長させることができたと近年感じています。出会いに感謝です。 次は、各種の社外委員会でお世話になっています、高速道路総合技術研究所の高原良太さんにバトンをお渡しいたします。