東武鉄道株式会社
鉄道事業本部技術統括部改良工事部長
矢野 哲郎
私の勤める東武鉄道は1都4県を股にかけ、日光・鬼怒川のような観光地と都心を結ぶ観光輸送と関東近県と都心を結ぶ通勤通学輸送を担う鉄道会社で、その営業キロは463・3㎞にもおよぶ民営鉄道の中では関東最大の路線延長を誇る鉄道会社です。当然その長い路線延長の中には大小いくつもの橋梁が存在し、会社の歴史とともにその歩みを重ねております。1899年に初めて北千住~久喜間で営業開始をしてから既に120年余りが経過しておりますから古い橋梁は120年以上の時を刻んでいるものもあるわけです。沿線は戦後の高度経済成長とともに宅地化がすすみ、当社線と交差する大小河川も治水対策として、河川拡幅や堤防の嵩上げが継続的に行われ、沿線の風景は大きく様変わりしてきております。 私は会社に勤め三十年余りが経過しておりますが、高架化等大規模プロジェクト部門や建設工事部門に長く携わったこともあり、高架橋を含め〝橋梁〟というカテゴリーに比較的縁のある会社人生を送ってきたと言えます。 初めて担当した橋梁関係の仕事は橋脚根固め工事でありましたが、橋脚まわりの河床洗掘は河川上流に大雨が降るたび河道が少しずつ変わっていき、洗掘の対策を施しても翌年は違う場所がまた洗掘されるという、自然現象との〝イタチごっこ〟に翻弄された思い出があります。 その後、連立事業等の高架化工事を担当した際は、河川や道路を跨ぐ橋梁はその橋長や桁下クリアランスの条件によって橋梁形式や材質について最も経済的な桁形式を選定するという役割を担いましたが、現場の施工条件によっては同様の桁形式でも経済性が大きく異なるケースもあり、全体の施工計画や施工ヤードの条件も桁形式選定の重要な要素となるということを知ることができたことはとても経験値アップになったと思います。また、設計した色々な形式の橋梁架設工事を間近で見ることができたおかげで更に知見を広げることができたと思うし、色々な苦労が伴った苦い記憶もあるものの、色々な経験をできたことはある意味とても運がよかったと思っております。 そんな会社における橋梁人生の中で最も大変だったのは、列車運行を維持しながら河川を拡幅するために橋台・橋脚・前後の堤防を含めた橋梁一式の造り替えをする〝営業線の活線直下の河川改修工事〟だったと言えます。河川の工事は流水断面を確保しながら工事を進めねばなりませんし、殆どの河川は初夏から晩秋までの〝出水期〟には工事を制限され、〝渇水期〟しか河道に係る部分の工事が出来なくなるケースも多いです。 〝渇水期〟を迎えると工事用のヤードを河川上に作る為に仮桟橋を設置し、次の〝出水期〟を迎えるまでにはその仮桟橋を撤去しなければならないようなケースも多々ありました。本体工事ができる期間がとても少なく、その結果工事期間や費用が莫大になってしまうことでフラストレーションを抱くようなこともありました。 それでも施工会社の技術者と知恵を絞りながら効率的に工事が進むような施工ステップを考え、列車の安全運行を確保しながら活線直下で仮橋梁化、橋台・橋脚の新設、本設桁への架け替えという流れをひとつひとつ積み上げていった結果、工事が完成した時の達成感は何物にも代えがたいものがありました。このような貴重な経験を我々の後を継ぐ後進の人たちが多く経験し、そのノウハウをまた次の世代に継承してもらいたいと思います。 次はその大変だった河川改修で特にお世話になった鹿島建設の岡寿一さんにバトンを渡させていただきます。