福井工業高等専門学校
校長
田村 隆弘
昭和49年に開校した徳山高専土木建築工学科の一期生です。 「地図に残る構造物を作りたいと夢を抱きながら学生生活をエンジョイしていましたが、恩師から学校に残れと言われて教職の道に進んでいます」とカッコよく自己紹介したいところですが、実は、当時、新設の学校で就職先を探すのが大変な中、私が大変やんちゃ坊主(硬式野球部を立ち上げ、勝手に高校野球連盟に加盟をお願いに行って、学校に迷惑をかけつつ加盟が認められ、学生監督をしていた)であったことから、田村を学校の技官として残そうとなったようです。その後、多くの方のご支援で教員になり、母校の副校長になり、国立高専機構本部勤務(研究総括参事)を命じられ、現職に至っています。 技官から教員に配置換えになるとき、校長先生から「先生達が君を教員にしたいと言うが、君は高専卒なので博士号でも取らないと一生助手ですが良いですか」と話され、生意気にも「はい、財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上、と学びました。人を育てる仕事をしたいです」と口から出ていました(笑;汗)。 その後、恩師(重松恒美先生)との約束「毎年、(できればドイツ語か英語で)論文1本執筆、学会(できれば国際会議で)発表すること」を(できるだけ)守っていたところ、長岡技術科学大学の丸山久一先生にご指導賜る機会を頂き、奇跡的に博士になりました。研究テーマは「軸力を受ける鉄筋コンクリート棒部材のせん断耐力」です。 学位授与式は平成7年の3月、まさに阪神淡路大震災(同年1月17日発生)の直後でした。阪神高速の単柱式円柱橋脚や山陽新幹線のラーメン橋脚のせん断破壊を見たとき、そして、授与式のために長岡に向かう電車の中で、自身の研究の重要性や教育研究者としての責任を痛感しました。 高専は、実践的な人材育成を目的とした高等教育機関で、学生たちには技術士の取得を目指すことを促します。学生に勧める前に、まず自分が技術士になれば説得力があると思い受験しましたが、この資格は、間違いなくその後の私の研究活動のフィールドを広げてくれました。 学位取得後2年間、長岡技大に准教授として勤務させていただき、その間、丸山久一先生には学会の委員会活動についても勉強させていただきました。これは、後に徳山高専で地元のコンクリート工事関係者と「コンクリートよろず研究会」をつくるモチベーションになりました。当時、「ひび割れ」をテーマとしたこの勉強会の成果は、大きな反響を得ました。成果の発表会を機に、山口国体を控えて多くのコンクリート構造物を建設していた山口県と実構造物を使ったひび割れ対策試験施工を行うことになり、さらに、産官学が連携して、ひび割れ対策を研究する活動に発展しました。帰納的手法によってこの問題を解決した取組みは、土木学会やコンクリート工学会でも評価され、業界紙でも広く紹介されました。 今では、この取り組みをきっかけにして、国土交通省をはじめ多くの自治体で、新設時の品質確保に向けた取り組みが行われています。 なぜ、ひび割れが発生するのか、そして、どう対策すれば良いのかをとことん考えると、それは、コンクリートの材料としての問題だけでなく、建設マネジメントの問題に深く関わっていて、良いものを作るには高い哲学意識を持つことが大切であることを学びました。 次回は、私の母校徳山高専の海田辰将先生にバトンをお渡します。