株式会社インフラマネジメント
代表取締役CEO
坂元 陽祐
私が入学した大学は、土木と建築の垣根がない、当時珍しい学科でした。今になってみれば土木と建築の垣根を感じることは多く、土木から建築へ、建築から土木へ異動するのは大変だとは思いますが、保険営業職のサラリーマン家庭で育った私にとってはそんなことを知る由もなく、卒業まで土木か建築か選べて選択の幅があっていいじゃないかと思う程度で大学を志望しました。大学のシラバスは、その教科が土木系なのか建築系なのか分からないものが多く(おそらくわざとだと思いますが)、多くの専門科目が始まる3回生までその道を決めかねていました。私はあまり優等生の部類ではなかったため、3回生になっても必死に単位習得に精をださなければ卒業できない学生でしたが、ご縁があり、卒業論文を3本書かせて頂けることとなりました。ひとつはコンクリートの劣化メカニズムについて既存論文を引用しながら考察できることを書き、もう一つは自己充填コンクリートの配合設計を、もう一つは信号制御の最適化を目的とした論文を書きました。結局4回生になった段階でも「この分野に進みたい!」といった強い意志はなく、なんだか流されながら今の業界に行きついたのかなという印象です。 新卒で、主に橋梁の補修・補強工事を行っている会社に入社したのですが、専門性がなかった私にとっては毎日が勉強の連続でした。そもそも橋の勉強をした覚えがなく(といったら教授に怒られてしまいますが)、構造部材の名前すら知らないドシロウトの新入社員に、先輩社員は呆れてしまっていたかもしれません。他の理系同期社員は土木系の学科を出ている人が多く、ある程度の基礎を持っていましたが、私にはありません。そんな私は一歩一歩、相当遅い歩みだったかもしれませんが、橋梁の専門知識を得ていく毎日でした。 拠点を東京、大阪、高知と渡り歩き、仕事内容も変化していきました。高知での主な仕事は明日の飯のタネを探すため朝から晩まで橋梁の調査を行っていました。私が赴任していた当時、地方公共団体が管理している橋梁で橋梁台帳がないといったものがある程、今のようなしっかりとした定期点検は実施されていませんでした。 私の仕事は橋梁の補修・補強工事です。そのため朝から晩まで高知県内の橋を点検し、診断、補修工法の提案資料を作成、まとまった数の資料が出来上がった段階で、地方公共団体の担当職員へその資料を持っていく仕事でしたが、本当に面白かった。誰かに指示されるのがあまり好きではなかった私にとって好きにウロウロできるこの仕事がまさに天職、朝から晩まで橋梁調査に明け暮れる、充実した毎日を過ごすことができました。 その前職を5年で退職、コンクリートの劣化メカニズムの学び直しのため大学院へ進学しました。大学院ではすでに塩害を受けたコンクリート構造物の再劣化メカニズムを研究し、それを修士論文として提出しました。 大学院修了後、自分の天職と思われた橋梁調査をする会社を立ち上げました。起業当時は全然仕事がありませんでしたが、地方公共団体においても5年に一度の定期点検が義務付けられてからは、多くのお仕事を頂くことができました。新しいことを始めることが自分に合っているのか、今はドローンによる橋梁点検や農薬・肥料散布以外の農業用ドローンの活用等色々チャレンジしています。現在46歳、人生の半分の時間を橋梁調査業務に費やしてきました。今後もDXを意識した橋梁調査業務を行っていきたいと思っています。 それでは次号にはショーボンド建設在籍時にお世話になった同社・名古屋支店の谷岡大樹支店長にバトンを渡します。