株式会社長大
執行役員 構造事業本部 技術統括部 エグゼクティブ・マネージャー(統括部長)
田中剛さん
入社し、大阪で働き始めたのが平成7年。阪神大震災の年だ。地震により、神戸の国道2号線浜手バイパスは橋脚の座屈や主桁の変形・移動など、損傷は全線にわたった。その中で復旧の設計に、右も左も分からぬままに約1年半取組んだ。 当時行った設計は、上下線が2層構造となる鋼橋脚に対して、耐震性能の確保と同時に活荷重対応も要求されていた。大規模地震動に対する復旧方法が明示される前に、これまでの知見を最大限活用して早期に安全な道路を復旧させる、緊急性を帯びた重要な仕事だった。 その後は、西日本を中心に橋梁詳細設計を約20年携わった。2018年に土木学会デザイン賞を受賞した奈良県五條市の夢翔大橋や岡山県日生町に架かる複合アーチ橋の頭島大橋、愛媛県の上島架橋の斜張橋である生名橋、岩城橋の設計を行った。 「上島架橋の生名橋、岩城橋が記憶に残ります」と語る。 「生名橋は一般的な混合斜張橋とは異なり、PC桁と鋼桁の接合位置が主塔位置ではなく、中央径間の途中までPC桁を延長させ、中央径間の真ん中を鋼桁で計画しました。本橋は、中央径間を飛ばす割には道路幅員が狭く、経済性に優れる海上斜張橋を実現するためには、コンクリート主塔の採用が不可欠でした。そのため中空断面やPC斜材のRC部材への定着部など、幅の狭いコンクリート製のH型主塔の設計がカギでした」 その後、同じ上島架橋の生名橋の取り組みを同形式の岩城橋で進化できたと振り返る。 今は技術統括部長として長大の橋梁設計部門の受注と品質確保、研究開発など全てを見て、全国的に長大としてどうあるべきか、サポートをしている。 「橋梁設計コンサルタントとして道路橋の計画、設計、維持管理に係わるために長大のオリジナリティを見つけることが使命です」と胸の内を語った。 関西大学大学院土木工学科修了。大阪府高槻市出身の50歳。 (永島誠司)