日本工営株式会社
福岡支店交通都市部次長
金澤 友徳
私は兵庫県南部地震直後の1995年3月に九州工業大学を卒業し、前職である三井共同建設コンサルタントに入社、2011年4月から現在に至るまで日本工営に在籍しております。 紛れもない劣等生として5年間の大学生活を送った当時の私には、はっきりとした将来の目標も無く、会社都合で橋梁設計を担当する部署に配属され、橋のことなど何も知らないゼロからのスタートでしたが、勉強しながら、悩みながら仕事に打ち込める環境を与えて頂いたことが、その後の技術者人生の基礎になったと思っています。 次に、これまでの私の経歴の中で思い出深い橋の話をいくつか紹介したいと思います。一つ目は、私が生まれ育った山口県宇部市の真締川に架かる橋の架替え設計です。河川の感潮区間に架かる橋で、当時は河川橋設計の経験が殆どなく、とても読みづらい河川構造令と格闘しながら、常に水位がある状態での施工計画に頭を悩ませた記憶があります。橋長30メートルにも満たないPC単純橋でしたが、子供の頃から歩いていた馴染みの橋の設計に携われたことは技術者冥利に尽きる思いで、私が橋の設計にのめり込んだ原点のような橋です。 二つ目は、令和2年7月豪雨で被害を受けた熊本県の球磨川に架かる紅取橋の設計です。上部工形式は標準的なPC5径間連結ポステンT桁橋、岩盤が露出しているような地盤条件であったため、直接基礎を採用したのですが、設計を進めて行く中で、「河川内への工事用進入路」や「岩盤が露出した河床への締切り矢板施工」等の課題が続出し、「もっと長スパンにして橋脚数減らした方がよかったかも」と経験やセンスの重要さに気づかされた思いでした。 なお、幸運にも紅取橋は落橋を免れました。今回の豪雨で決壊した堤防の直上流に位置しているため、ワイドショー等の映像の端に完全に水没した紅取橋が映し出された時には肝が冷える思いでした。 三つ目は、6本の線路(合計幅45メートル程度)を交差角40度程度で交差する跨線橋および隣接する北九州都市高速を跨ぐ鋼床版箱桁橋で、詳細設計は別会社で実施済みでしたが、架設条件変更に伴う架設設計、施工ヤードの設計等を実施したものです。 架設工法は厳しい施工条件を踏まえて大ブロック一括架設を採用しました。都市高速交差部が1250トン吊りクレーン、跨線部は1250トン吊りクレーンにカウンターウェイトを装着した3000トン級クレーンという国内に4台しかない大型クレーンを用いたのですが、クレーン地盤反力も常識外れで、地盤養生や地下埋設物の防護工など、大型クレーン一括架設の大変さを思い知りました。 ゼロからスタートした橋梁設計ですが、経験を積む中で橋梁設計の面白さもわかってきました。もちろん辛さの方が圧倒的に多いですが、やはり自分が携わった橋が無事完成した時の達成感は格別です。 また、明治期の土木構造物などを見ると細部に亘るまでデザインが施されており、当時の技術者、職人さんの思いを想像すると感慨深いものがあります。それに比べて、設計基準に雁字搦めになった現在の橋梁設計を考えると、100年後の橋梁技術者が現在の橋を見た時にどう思うのか一抹の寂しさを感じている次第です。 次は、大学の同級生で、私とは正反対の優秀な学生であった九州工業大学の日比野誠先生にバトンを渡したいと思います。