ブラストLOVE(愛)

小寺 健史極東メタリコン工業株式会社
代表取締役専務
小寺 健史

祖父の代からブラストを家業にしている家に産まれたから、それをしっかりと継いでいこうと思っていた。訳ではない。 ブラストが好きで好きで堪らないから会社に入った。訳でもない。 そんな私が、自称ではあるが日本一ブラスト愛に目覚める様になるとは、自分自身思ってもいなかった。確かに一般的な家庭とは違い、物心付いた時から、いわゆる職人さんが家に出入りをし、今も会社で元気に働いてくれているおじちゃんに、乳母車を押してもらっていた、らしい。 学生時代は、本当にフラフラしていて、特に何がしたい訳でもなく、目標があった訳でもなく、漠然と家業を継ぐんだろうなぁという感じで、会社に入社した。1999年の事だ。入社後は、ブラスト作業者として約15年間、全国各地の現場を飛びまわった。作業者としての思い出の橋梁は、明石海峡大橋。初めて主塔の基部に降り立った時は、そこから見上げる主塔や世界一の吊り橋に、こんな大きな物をよく造ったなぁと感心ばかりだった。様々な橋梁現場を経験していくうちに、どんどんブラストの魅力にハマっていく事になった。その中で、ブラストに関して色々な疑問や問題点も感じていた。  そんな思いが大きくなった時に、日本各地の有志と共にブラスト施工技術研究会を発足させる事ができた。今から7年前の2014年の事だ。同じ思いの有志との話は魅力的であり、刺激的であった。地域によって、施工の仕方も養生の仕方も違っており、それはそれで非常に勉強になった。日本各地の施工は大体ではあるがわかるようになったが、世界のブラスト事情ってどうだろう?と思うようになり、色々と調べてみた。その中で、当時アメリカで行われていたSSPC(Steel Structures Painting Council)が、西部のサンアントニオで行われると知り、会員有志と一緒に、ブラスト大国アメリカの地に行く事になった。 幸運にも、世界的に非常に有名なサンフランシスコに鎮座するゴールデンゲートブリッジ(GGB)のブラスト施工現場にも行ける事になり、興奮はマックスになった。見学当日は、あいにくの雨だったが、市街地からGGBを渡り、トレイルヘッドパーキングから検査路を通って、いざ現場に着いた時の興奮を、今でも鮮明に覚えている。しかし、それと同時に、日本のブラスト現場の欠点や問題点、アメリカと日本との考え方の違いなども知る事ができた。 その経験が特に大きな分岐点になった気がする。そこから本格的に「本当の働き方改革」と銘打って、様々な事に取り組むきっかけとなった。例えば、前号の特殊高所技術さん達と共同で、ブラストの適用範囲を広げるために、局所的なブラストを安全に施工できる「スポットリフレ工法」や、シートとシートを熱で圧着させて、隙間を極力無くす事ができる「クイックラップ」、ほかにも新しいブラスト工法や新しい足場の製作など、少しでも作業員へのストレスの軽減や品質向上など、橋梁の長寿命化に繋がる事にドンドンと取り組んでいる。 また、積極的に他業種との連携も視野に入れ、交流や現場見学会なども行っています。業界の垣根を越えて、本気(マジ)で取り組んでいる会社さんと交流をする事で、ブラスト業界の地位向上に繋がれればステキだなぁと本気で考えています!! まだまだ語り尽くせませんが、仕方ないので私のバトンと熱い想いは、長崎が産んだ変人、オリエントアイエヌジーの松尾大介さんに託したいと思います。

愛知製鋼