一人では何もできない、できなかった

追谷 健吾三井共同建設コンサルタント株式会社
執行役員 事業開発部長
追谷 健吾

帝国コンサルタントの植村一盛様よりバトンを頂きました三井共同建設コンサルタントの追谷です。私の経歴を振り返りながら話を進めて行きたいと思います。 私は大学を卒業後、約30年間、建設コンサルタントの技術者として従事しております。 入社直後は、河川を渡河する鋼連続橋の設計や山岳や海岸部のPC連続橋の設計など多くの長大橋梁の設計に携わり、先輩方の指導を受けながら業務を遂行したというよりは、常に解析や設計計算のやり直し、設計・施工計画の手戻りなどに付き合わせ、迷惑ばかりかけていたと記憶しております(先輩方へ 本当にすみませんでした)。 私自身に転機が訪れたというよりは、技術者として基盤、骨格となったのが入社3年から5年目に掛けて、東京都ニュータウン内に架橋される平面L型形状の2径間連続RCラーメン橋(以下、RCラーメン橋と略す)の設計・施工管理、長野県過疎代行事業の一環である千曲川を渡河する3径間連続エッジガッターPC斜張橋(以下、PC斜張橋と略す)の設計・施工に携わったことだと思います。 この2つの業務では設計のみでなく、工事の現場にも直接関与することができ、常に発注者、施工業者など、多くの立場の技術者と議論を重ねました。 特に、RCラーメン橋では、コンクリートの温度応力分布と打設手順、PC斜張橋では、PCケーブル定着部の応力分布や引張補強鉄筋の配置など、建設コンサルタントの技術者として色々質問を受けたり、施工性(過密配筋等)について時には怒られたりと大変ではありましたが、各立場の技術者が協働で「もの(橋梁)」を完成させる強い意志と、喜びを共有するとともに、自分自身を大きく成長させてくれたと実感することができました。 2005年からは、首都圏中央連絡自動車道、中部横断自動車道、東京湾岸自動車道、東関東自動車道、東九州自動車道、四国横断自動車道など、高規格幹線道路の連続高架橋の設計に管理技術者として多く携わりました。 これらの業務では道路、河川、土地管理者、漁業、警察、地元など、非常に多くの関係機関と協議して確認・調整すると共に、コンサルとして路線全体で設計条件を統一し、設計コンセプトを設定したうえで、橋梁形式の決定、部材細部の詳細設計を実施するなど、トータルでコンサルタント力が要求される業務であったと思います。 また、5~10社によるコンサル合同の予備・詳細設計業務であったことから、同業他社と技術力を競い合うというよりも、互いに協力し発注者や多くの関係機関に説明責任を果たすことができたと思います。 副次的には私の部下も同世代に刺激?(互いに切磋琢磨)されたことで、組織(部)全体が大きく成長したと感じました。この時、私事ではありますが、国土交通省から多くの表彰を頂くこともできました(発注者の皆様には感謝しかありません)。 現在(ここ2年)は、組織のマネジメント、アライアンス強化、新規事業への参入などの取り組みが主な使命となっております。国の生産性向上などの号令の下、BIM/CIM、IoT/AI、新技術・新工法などを早期に実現可能とするために、ゼネコン、メーカーなど建設業界全体の諸先輩方とも意見交換をする機会も増えております。 執筆する機会をいただき、経歴などを記載するにあたり入社から現在に至るまで、やはり「一人では何もできない。できなかった」。いろんな方の指導やご協力があって初めて実現化することを思い起こされました。 今後は多様化する新しい難題に対し、建設業界全体で協働しながら解決できる新しい関係の構築を目指して、微力ですが研鑽していく所存です。次は長年、一緒に仕事をし共に汗をかいた日本工営の金澤友徳さんへバトンを渡します。

愛知製鋼