JFEエンジニアリング株式会社
大阪支店 顧問
佐々木 一則
令和4年に阪神高速道路を退職し、2年間、グループの阪神高速技術の役員を経て、昨年の7月からJFEエンジニアリングに勤務しています。学生時代から橋梁に興味を持ち、プレートガーダー橋の設計演習では、ディテールが気になって近所の橋を何度も観に行きました。夏期実習は尾道の本四公団第三建設局にひと月お世話になり、因島大橋のケーブル工事を見て学びました。橋への思いは一層深まり、恩師の土居威男先生の薦めで当時の阪神公団に就職しました。最初の配属先は管理部門で、胸中に秘めていたのは建設工事でしたので戸惑いもありましたが、この経験がその後の職務でとても役に立ちました。 建設部門では大阪第一建設部設計課で、トラス型ジベル合成床版の開発、コーナー部に曲率を付けた鋼製橋脚(通称R柱)の基準制定などに関わりました。大阪湾岸道路の建設では、関西空港に繋がる岸和田・泉佐野市内の橋梁群の詳細設計を担当し、原田政彦氏(大日本ダイヤコンサルタント(株)社長)には、設計審査支援で大変お世話になりました。大判の図面を広げながら深夜に及ぶ打合せの連続で、鋼橋設計の理解が深まりました。 神戸第一建設部では、北神戸線の建設で阪神高速初となる3径間連続PCエクストラドーズド橋(唐櫃新橋)を担当しました。六甲山系の最大傾斜40度の急峻な斜面に沿った橋長260メートル・285メートルの上下線分離構造で、諸般の事情から工期1年で完成させる必要がありました。ピーエス・オリエンタル・日本高圧JVの皆さんと検討を重ねましたが、やはり1年では難しいという雰囲気でした。血気にはやって素人自作の工程表で相談を重ねると、西田朋仁郎JV所長から最善を尽くしましょうというお返事をいただいたことは、今でも畏敬の念を抱いています。急速施工提案により張り出し架設も順調に進み、厳冬期の寒風ふきすさぶ中、ワーゲン解体作業を慎重に進める現場の皆さんと無事完成への思いを一つに連日、立会いました。完成式典で職長さんから感謝の言葉をいただき胸が熱くなりました。 保全部門では本社の保全技術課でASR劣化の進んだ橋脚梁部の鉄筋破断対策の主担当となり、対策検討委員会(委員長:宮川豊章先生)にて破断原因の究明と補強対策を審議いただきました。その成果を宮川先生のご指導により博士論文としてまとめることができ、博士(工学)の学位を授与いただきました。 道路会社退職前の4年間は、管理本部でリニューアル事業を担当し、UFC床版を適用したRC床版の更新事業では、土木学会の栄えある田中賞、技術賞を受賞することができました。また、13号松原線喜連瓜破橋の大規模更新事業では、本線を約3年間通行止めにするという大きな決断の場面に携わりました。 橋との関わりの一部をご紹介しましたが、おかげさまで貴重な経験を積むことができ、関係各位に心より感謝を申し上げます。今後は若手の皆さんが多様な考え方に触れ、失敗を恐れずに新しいことにチャレンジできるような環境醸成に微力ながら努力していく所存です。次は床版取替で大変お世話になりました鹿島建設関西支店専任部長の齋藤公生様につなぎます。