人とのつながりの中で

曽我 宣之株式会社グラン・ソラリス
技術部 課長
曽我 宣之

物心ついた時から橋をはじめとした土木構造物は身近にありました。 それは、父が町役場の土木エンジニアであり、母から「この橋は父が担当した橋だよ」と聞いていたからです。 そのような話を幼少から聞いていた私は、中学校卒業時の進路を地元工業高校の土木学科へ決めました。 ただ、工業高校を卒業してからすぐに橋梁への道を歩んだかというとそうではありません。その当時やりたかったのは地質調査でした。 しかし、就職氷河期ということもあり希望する就職先がなかったため、進路を考え直して専門学校に通い、地元の測量会社に就職しました。 測量の現場に行く日々は充実していましたが、この会社では橋梁の設計業務も実施しており、測量の先にある設計というものに興味がわいてきました。 しかし、橋梁の設計技術を習得するのは、相当な時間が必要ということも理解しました。 測量を極める道もありましたが、新たなチャレンジがしたい気持ちもあり、設計は無理でも測量が生かせる『造る人』にはなれると考え、地元の施工会社に転職しました。 最初は、主に砂防堰堤や治山工事に従事していましたが、会社が新規事業として橋梁の床版防水工事を始めることを聞き、私にはその知識も経験もありませんでしたが、『面白そう』という好奇心から迷わず自分がやりたいと手を挙げました。 最初の現場は、岐阜からほど遠い北海道の現場でした。元請の大手ゼネコン会社の方々から厳しい指導を頂き、現場で学ぶ日々が続きましたが、自分が得意とするポジティブ思考とコミュニケーション力で初めての床版防水工事の現場を無事にやり遂げることが出来ました。この現場は、私にとって大きな財産となりました。 その後、岐阜大学が社会基盤メンテナンスエキスパート(ME)養成講座を始めることを知ります。〝メンテナンスエキスパート〟という名前のカッコよさに惹かれて、ただただ受講したい一心で受講申込書を書きました。 そんな熱意が伝わったのか晴れて受講することが叶い、各分野を代表する講師陣、行政や民間で設計や工事の経験が豊富な同期の人たちに囲まれ、貴重な学びの機会を得ることが出来ました。 特に、岐阜大学の先生方には、『地元で楽しく仕事している面白いやつ』とかわいがっていただきました。 ME取得後は、橋をはじめとした土木構造物のメンテナンスを行うようになりました。そこで、印象深いのは、現在でも大変お世話になっている先生のご厚意で、国道41号不動橋における耐候性鋼材の損傷に関する現地施工検討委員会に参加出来たことです。 また、MEの同志で作る『MEの会』では、橋を見て触ることを通じて技術研鑽し、多くの人とつながりが出来ました。このことがきっかけで、現職に就くことが出来ました。 最後に、私にとって橋とは、ただの仕事上で関りがあるだけでなく、人とのつながりを作ってくれる『架け橋』です。 それでは次回は大学の先生の紹介で出会い、仲良くさせていただいているアイエムジーの岡田章様にバトンをつなぎます。

愛知製鋼