中央復建コンサルタンツ
構造系部門橋梁・長寿命化グループプロジェクトマネージャー
加藤 慎吾
主塔が立ち上がり、ケーブルが渡され、桁が架けられていく。中学生の私は、ベランダから世界最長の明石海峡大橋建設が進む様子を日々眺めていました。ただ、兵庫県明石市に生まれた私にとっては当たり前の風景で、特別な興味の対象ではありませんでした。明石工業高等専門学校への進学を考えるまでは。高専進学は母の友人の勧めがきっかけでしたが、中学生なりに「土木で食っていくのだ」と腹を括った私。橋を設計する仕事をしたいという気持ちが芽生えた、中学3年生の冬でした。 1998年に無事明石高専に入学。専攻科を含めて7年間在学し、石丸和宏教授には構造力学の基本を学びました。その後進学した神戸大学大学院では川谷充郎名誉教授のもと、鋼製橋脚の耐震信頼性設計を研究テーマに修士課程を修了。中学生から初志貫徹の精神で橋の仕事へ歩みを進め、2007年、中央復建コンサルタンツに入社しました。現在も所属する橋梁系グループ(当時)に配属され、初年度に担当した業務が、阿倍野歩道橋(大阪市)のデザインコンペおよび詳細設計でした。 大阪第3のターミナル天王寺駅前に架かる阿倍野歩道橋は、交通量の多い道路を跨ぎ交差点に隣接するビルを結ぶ歩道橋で、既設橋の架替え業務でした。橋梁直下で大阪メトロ御堂筋線と谷町線が交差する、厳しい制約条件下で橋脚配置計画を任せられた私でしたが、入社間もない私がその責任の重さを未だ知らなかったことは、幸いであったかもしれません。 また、コンペでデザインを固めていく過程では、アイデアとそれを具現化するための試行錯誤の連続でした。上司の熱い議論に圧倒され、当時の私はほとんど口を開くことはありませんでした。しかし、至近距離で見聞きした経験が、その後の私の糧となりました。当事者としてデザインコンペに挑戦するようになったいま振り返ると、何を考えどのように振る舞うべきかを考えるにあたり、早い時期に良い経験に巡り合えたと感じています。 入社5年目の頃には、発注者支援業務で広島高速道路公社へ出向しました。現場を巡回している際、公社の上司が地元の方へ「お変わりないですか?」などと声を掛けられていたのを印象的に覚えています。「社会に貢献する仕事」と、言葉としては理解しているつもりでしたが、その上司が語り掛ける優しい笑顔にふれ、私には何も見えていなかったのだと恥ずかしい気持ちを覚えました。少しばかり仕事が手につくようになり始めた時期で、良い戒めとなりました。 出向からの帰任後も国や自治体、高速道路会社の道路橋を中心に、新設橋および既設橋の補強設計などに携わってきました。 阪神高速道路西船場ジャンクション改築事業で当社が実施した詳細設計においては、渡り線の詳細設計と既設拡幅部の構造検討を担当しました。拡幅部では、既設橋脚の中間に設けた鋼管集成橋脚が上部工拡幅分の負担を受け持つ、新たな拡幅技術が採用されています。前例のない中でその形状などの構造計画を行うにあたっては、上司と2人机を並べて互いに動的解析を流し、逐一調整しながら計画案を検討しました。新たなものを生み出すには苦労がつきものですが、この拡幅技術が評価されて土木学会田中賞を受賞できたことは、私にとって大きな喜びとなりました。 入社15年目。業務や人との巡り合わせに恵まれ、私にとって適切な時期に、良い経験を重ねることが出来たと感じています。まだまだ若輩者ですが、私たちの作る橋に関わる人々の笑顔のために、新たなチャレンジを恐れず学び続け、汗を流していきたいと思います。 次回は、業務や委員会等でお世話になった、エイト日本技術開発の木村真也さんにバトンを渡したいと思います。