何が出来るか

takaoHarada株式会社キナン
高所・橋梁点検事業部事業部長
原田 貴生

私は2001年にキナンに入社しました。育ちは植木・園芸の町としても知られる兵庫県宝塚市で、実家は造園屋を営んでおります。 小学生から大学生になるまでよく父の仕事に付いて行き、ダンプやクレーン車、油圧ショベルで行う造園工事を間近で見てきました。 現在勤めるキナンでは建設機械のレンタル・修理・販売を主に行っておりますが、今思えば幼少の頃からなじみのあった業界で働いているのだなと、いまさらに感じております。 橋の思い出は小学3年生か4年生の頃に夏休みの自由工作で作った『吊り橋』なのですが、それはほとんど父が作った作品でした。 執筆にあたり父に当時の事を聞いてみたところ、当時瀬戸大橋や明石海峡大橋などの大型プロジェクトをテレビでよく見るようになり「(工作に)ちょうど良い」と思ったとの事でした。 縮尺を計算し、設計図を準備し、竹ひごを火であぶって美しい曲線を描いたワイヤー、そして堂々たる主塔が備わり、仕上げは真っ白に塗装され完璧な工作に仕上がったその吊り橋を二学期の初日に両手で抱えて誇らしげに学校まで持って行ったのを今でも良く覚えています。 もちろん担任の先生には親が作成したものだと直ぐに見抜かれましたが、その後家族旅行で実物の瀬戸大橋に連れて行ってもらい、その大きさに当時の小さな私は圧倒されました。 会社に入り3年ほどした時に三重県尾鷲市に転勤となりました。熊野・尾鷲道路のトンネル現場への入り込みが目的の1つでした。「お客様がどのような仕事をされているのかをまず知る事」と先輩に教えて頂き、掘削方法の1つであるNATM工法や機材について勉強しました。 この現場は両側から中心に向けて掘削していく工事で、営業マンではありましたが毎日現場に入り、サービスマンと一緒に機材の対応を毎日夜遅くまで行っておりました。貫通式の日に頂いた記念の石は今でも大切に持っています。 その後、南大阪営業所(岸和田)に転勤となり液晶パネル工場など建築現場を中心とする営業に専念しました。そこでも1つの建築物が出来るまでの過程や各種関わる企業様、建方の種類や必要な機材について勉強しました。 さらに5年ほど経ち今後は大阪営業所(東大阪)へと転勤になりました。当時、東京営業所でしか無かった橋梁点検車の取り扱いを全国の都市拠点で始めるという事でしたので、今度は橋梁・点検手法についての勉強を行いました。間もなくして専門事業部として取り組むべく社内に高所・橋梁点検事業部が立ち上がり、現在に至っております。 共通するのはお客様がどのような仕事をされているのかを勉強するという事、興味を持って現場に行く事。今では橋を見るたびに、損傷具合はどうか、どう安全に近接出来るか、どんな機材を提案できるだろうか、と考えるようになりました。 直接橋を触る立場ではありませんが、お世話になっている業界の為に自分の役割なりに皆さまと一緒にインフラを守る事が今の私の仕事のやりがいであり、今後もそのような気持ちを持ち続けていきたいと思っております。 次回は、事業部発足前から大変お世話になっているタダノの木村輝一様にバトンをお渡し致します。

愛知製鋼