ジェイアール東日本コンサルタンツ㈱
技術本部 鋼構造設計部次長(鋼構造ユニット長) 工藤 伸司
私と橋との出会いは、1980年に国鉄札幌工事局に入社した時に始まりました。配属先は、3径間連続下路トラスの新設工事を担当している部署でした。私は、その工事に関連するRC桁用の直接基礎橋台の直轄設計を行っていました。新入社員の私にとって、直轄設計はとても難しくて、仕事を独身寮に持ち帰って必死な思いで設計を行っていました。
その後、国鉄が分割民営化されてJR東日本に入社し、千葉都市モノレールの鋼ラーメン架設工事の現場に配属になりました。その当時では珍しい300tトラッククレーンによる鉄骨架設を経験し、現場溶接、高力ボルト接合などの鋼構造の基本を学び、本格的に鋼構造の道に入ることになりました。その後、東京駅付近中央線重層化工事で使用する鋼板巻きRC柱の地震時変形性能確認試験を行う業務に従事しました。柱の耐力の実験値と計算値が一致しなくて苦労し、土木学会の年講で大学の先生から厳しい質問を受け、返答に言葉を詰まらせていました。苦労の甲斐あって、中央線重層化工事に関してマレーシアの国際会議で発表する機会を頂きましたが、英語の質問に答えられず、冷汗を流したことを覚えています。
翌年には兵庫県南部地震が発生し、被害を目の当りにして大きなショックを受けました。復旧支援のために、新大阪の事務所で毎晩遅くまで、鋼桁のシューの補修設計を行いました。この頃、秋田新幹線に溶融亜鉛メッキ桁とゴムシューの採用が本格的に決まり、実物大試験体でメッキ割れと腹板の変形確認試験やゴムシューの載荷試験を行いました。この成果を基に、支間16mの開床式上路プレートガーダーを初めて限界状態設計法で直轄設計しました。さらに、支間38mの開床式下路プレートガーダーとして初めて溶融亜鉛メッキ桁を採用しました。お蔭様で、これらのテーマをまとめて、技術士を取得することが出来ました。
次に、線路下を掘削する際に軌道を支える仮設用工事桁のコストダウンに取り組みました。そこで、H形鋼、山形鋼、高力ボルトを組合せて製作した実物大試験体で載荷試験を実施し、形鋼工事桁を開発しました。2004年には新潟県中越地震が発生し、被害調査のためにトンネルの中を徹夜で数十キロも歩き続け、非常につらい経験をしました。
また、2011年の東北地方太平洋沖地震では、橋梁の仮組検査で盛岡に出張して帰宅困難者となり、現場事務所で寒さに震えながら数日間、カップラーメンを食べて過ごしました。東京に戻った後は、新幹線や在来線の損傷した鋼桁のシューの復旧に力を尽すとともに、津波で流された鋼桁を収集して補修・補強を行って再利用する業務に従事しました。また、その一方で、中央線連続立体交差化工事、東北縦貫線工事、常磐線利根川橋梁架替工事などの多くの工事で、鋼構造物の品質管理業務に従事し、また、日本鋼構造協会誌編集委員会、土木鋼構造診断士専門委員会、鉄道鋼・合成構造物設計標準に関する委員会などの活動にも参加でき、貴重な経験を得ることができました。2013年からは現在の会社に籍を置き、ミャンマー国鉄トラス橋梁健全度調査などの海外の業務にも従事しました。現在は、斜角桁の地震時回転防止対策、乗換こ線橋耐震診断などの業務を担当していますが、60歳になった今は、他人の意見に反発を感じず、素直に耳を傾けられるようになって、健康でがんばっていきたいと思っています。
次回はトーニチコンサルタントの久保さんにお願い致します。