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水谷 公昭大成建設株式会社
土木技術部 橋梁設計・技術室 専任部長
水谷 公昭

1981年に入社し、早40年が経過したことになる。20代の頃は、発電所建設や道路カルバート建設の他、スキー場の開発にも携わり、建築的な要素が多かったため一級建築士の資格を取得した。また、プロスキーヤー三浦雄一郎さんと共に、スキー場計画地の新雪をあえぎならが登ったことは忘れがたい思い出である。 30歳になり、札樽自動車道丘珠高架橋の建設に携わったことで、私の人生は大きく変わる事となり、これ以降、橋梁業務に邁進することになる。 48歳になるまでの18年間で橋梁建設現場を7カ所経験した。架設工法は、固定式支保工、大型移動支保工、片持架設工法およびプレキャストセグメント工法を経験し、構造形式としては、連続箱桁橋とPC斜張橋を施工した。 それぞれの施工方法や構造形式により管理するポイントが異なり、橋梁の施工に大いに魅力を感じた。PC橋梁には高強度コンクリートが付き物であるが、コンクリートが生き物であることを痛感した時期でもある。配合から気を配りながら愛情を持って施工すれば、出来の良い構造物に育ってくれるが少しでも手を抜くとクラックの発生や時にはジャンカが発生したこともあり、反省しきりであった。斜張橋の最大張出120mの状況で風速約10mを受けた時、幅員25mの主桁が約50㎝の振幅で上下に揺れている姿には恐ろしさを感じた。 施工に際し、観る目を養うことの重要性を思い知った出来事がある。 プレキャストセグメントをエレクションノーズを使用して昼夜架設する現場において、引継ぎを行い現場到着後、何かいつもと違うなと感じた。よく見るとノーズの先端がすこし前方に傾斜しており、2本のノーズの内一本がねじれていることが判明し、ノーズ移動後の固定用鋼棒の片側に緩みがあることに気づくこととなる。 引継ぎに従ってそのままセグメントの架設を実施していたなら、ノーズがねじれ、鋼棒が切れてセグメント諸共、ノーズは川底に沈んでいた可能性があり、命拾いしたことが、大きな教訓となっている。 現場を卒業後、技術センターにて2年間超高強度繊維補強コンクリート(ダクタル)の推進を担当したが、新材料を認知してもらうことの難しさを実感することとなる。 今までのコンクリートの概念はもろくも崩れ去り、収縮を許容する型枠構造、10分間を超える練混ぜ、自己充填による打設、蒸気養生管理など、普通コンクリートの何倍もの愛情を注がないと立派な構造物には育ってくれない。多くの失敗を繰返しながらの実績作りとなった。 50歳からは、本社での管理業務が主となったが、PC工学会ではシンポジウム実行委員として長年に亘って携わり、「PC斜張橋・エクストラドーズド橋維持管理指針」および「高強度PC鋼材を用いたPC構造物の設計施工指針」の作成に携わることができたことは、嬉しいかぎりである。 また、阪神高速技術センターさんと共に、日ノ出水道機器・佐藤鉄工との鋳鉄床版の共同研究においては、自由な形状に製作でき、取替え自由な鋼構造床版の将来性に大きな期待を抱いている。 橋梁業務を通じ、多くの方々と出会い、新しい工法や材料に出会い、みなさんと共に乗り越えてこられた事に感謝しきりである。 次回は、鋳鉄床版の共同研究でお世話になった阪神高速先進技術研究所の赤松伸祐様にバトンをお渡し致します。

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