オリエンタル白石株式会社
東京支店 工事部 土木工事チーム
森 隆志
社会人になり約25年間、公私にわたり永年お世話になっているIHIインフラ建設開発部の若林良幸様より「リレー橋友録・私の橋歴書」コーナーを担当しませんかとご指名をいただきました。頭でっかちで甘ちゃんな小生を、橋梁技術者として多少なりともまともな社会人に育ててくださった大恩人、師匠ともいっていいほどの方であります。 私は大学卒業以来、極めて幸運にも20年以上も土木技術者として仕事を続けさせていただいております。今は作業現場の所長として、いまだに「あのとき師匠がおっしゃっていたことはこういう意味だったのか!」と気づくことがあります。その一方で、「あの時、師匠はきっとこういう気持ちだったのだろうな」と思うことが増えてきました。 一緒に仕事をしている若手職員には全く関係ない話で、はなはだ申し訳ないのですが、正直に告白すると、個人的には土木技術者冥利に尽きる至福の瞬間であります。 【出会い】 基礎工事を得意とする会社に入って、コンクリート橋梁上部工事に携わることなど微塵も考えていなかった私が、20年以上も橋梁上部工に関わり続けられたのは、もちろん師匠に出会ったからであります。入社から1年半ほどは設計課に配属され、図面作成や上位者の設計業務の補助をして多忙な日々を過ごしていました。 当時は手書き図面からCAD図面に移行する転換期でもあり、我々若手職員はパソコン画面と睨めっこし各種コマンドと格闘していました。 入社2年目の7月1日、当時交際中であった妻の誕生日に、彼女の出身地である徳島県に現場配属となりました。初めての橋梁現場は、国道・町道に加えダム湖・公園・JR線を横断し、その両端はトンネルという立地条件に架設する工事でした。ただただ体が頑丈で元気だけが取り柄であった私は、当時工事主任であった師匠の背中のすぐ後ろを追いかけて、測量墨出し、鉄筋、PC鋼材、型枠やコンクリートの検測等の多忙な業務をこなしながら、現場職員としての基礎知識や心構えについて、一言一句聞き漏らさず自分を成長させる要素としようと必死にくらいついていました。 師匠は、複雑な立地条件下かつ過去に実績のない特殊な新工法を用いてのハイレベルな難工事を、安全かつ高品質を確保して工程も管理しなければならない立場でありながら、現場のことを何ひとつ知らない未熟な小生を、粘り強く指導してくださいました。その2年半の橋梁現場で学んだ知識と経験が、現在の私の礎となっています。 【雑感】 「この工事で学んで経験したことは、今後のあらゆる橋梁現場で必ず役に立つよ」との師匠の言葉に、仕事魂がゆさぶられ、それ以降、四国、九州から関東にかけて計8現場での新設橋梁工事に関わり続ける結果となりました。現在は、橋梁耐震補強業務を担当しております。新設橋梁現場での経験を生かし、今後も安全にかつ高い品質を確保できるよう技術力向上に努めていきたいと思います。 そして、入社して間もない生意気な小生を育てていただいた感謝を胸に、今後は建設業を担う若手職員に対し適切な助言や指導を積極的に行い、建設業界の活性化ならびに技術力アップに取り組み、魅力ある業界にしていきたいと思います。 また、拙文を書くにあたって改めて師匠の教えを振り返ることができ、極めて有意義でありました。このような機会を与えていただいた橋梁新聞社様に感謝しつつ、寛容な師匠が「あいつ、好き勝手に書いて、あいつは何一つわかってない!」と言いながらも、笑ってお許しいただくことを祈りつつ・。 次回は、東京モノレール耐震補強工事でお世話になった、モノレールエンジニアリング西尾行雄様にバトンをお渡ししたいと思います。