川田建設株式会社
九州支店工事部 部長
森脇 健次
私は若い頃から、ものづくりの仕事に携わりたいとの思いが強く、1997年に川田建設に入社しました。以降26年間、PC橋の上部工工事において主に工事現場を担当してきました。 新入社員で最初に着任した現場は、宮崎県の天翔大橋工事で、アーチスパンが260メートルと国内最大級のRCアーチ橋の現場であり、そのスケールに圧倒されました。右も左もわからず、社内の先輩方やJVの大成建設の方々に公私ともに助けていただきながら、ただ目の前の仕事をがむしゃらにこなす日々でした。そんな未熟な私でも、アーチ閉合時や完成時には非常に感動したことを鮮明に覚えています。 今回、リレー橋友録のバトンを頂戴した西日本高速道路の和田様には、2011年より東九州自動車道の耳川橋上部工工事で発注者としてお会いし、ご指導をいただきました。 本橋はPC5径間連続波形鋼板ウェブ箱桁橋で、一級河川である耳川を跨ぐ橋梁でした。出水期に仮桟橋を存置できない制約の中、どうやって河川内の張出し架設を行うのかを必死に検討した現場でした。まず、仮桟橋のある非出水期に柱頭部及び張出し施工3ブロックを完了させました。出水期では、既設部の張出し先端部より架設桁を渡し、河川内の張出し施工部にアプローチできるようにして張出し施工を行いました。波形鋼板等の運搬や、コンクリート圧送距離等の課題もありましたが、出水期にも張出し施工を可能としたことで、工程遅延もなく施工を完了できました。 また、外ケーブルに防錆被覆PC鋼材のスープロストランドを国内で初めて採用したため、工場での各種試験や現場での試行錯誤を繰り返しながら完成させたことも思い出深いです。 13年には、沖縄総合事務局でPC3径間連続箱桁橋である与根高架橋の施工を担当しました。架橋位置が海岸部であったため、さまざまな塩害対策を施し耐久性向上に努めた現場でした。漁港航路を跨いでの施工や近接で体育館建設工事が同時進行する等の現場条件の中、地元住民や関係者とのコミュニケーションを密に取り合い、工程調整を行うことで工事を円滑に進めることを心掛けました。沖縄特有の亜熱帯気候や台風等にも対応しながら、現場員が一致団結して工事を完結することができました。 20年には、国土交通省四国地方整備局で肱川橋の施工を担当しました。本橋は、4径間連続プレビーム合成桁橋であり、観光地かつ中心市街地を結ぶ重要な道路であり、早期開通を地元から熱望されていました。そこで、河川協議の上で河川内にヤードを造成し、大型クレーンをフル活用する架設方法を採用し、工程短縮を実現させました。目標期日に無事開通できた際は、地元住民や関係者の方々と喜びを分かち合うことができました。 その他にも思い出の橋梁は数多くあり、どれも感謝、感動に溢れており、橋梁工事の魅力にどっぷりとはまっている次第です。私は常々、未経験の工事や困難な問題に直面した時は、初心を忘れずに情熱をもって挑戦するように心掛けています。 現在は、九州支店管轄の現場支援業務に携わっておりますが、今まで培った経験や、多くの出会いによる人脈を大切にし、橋梁の魅力を次世代に継承していきたいと思います。 次回は、17年fibシンポジウム(マーストリヒト)でお世話になりました大成建設の大嶋雄様にバトンをお渡しします。