株式会社高速道路総合技術研究所
道路研究部橋梁研究室室長
高原 良太
私は1998年に日本道路公団に入社しました。最初の勤務地は中央自動車道の高井戸ICから上野原IC間の維持管理を担う事務所であり、そこでの業務としては、損傷が発生した構造物の応急的な補修工事や、交通事故によって破損した部材の復旧工事、鋼橋の塗替塗装工事等を主に担当しました。 25年前のことになりますが、当時でも供用から30年が経過している区間もあり、特に橋梁の老朽化に伴う損傷や変状への対応に日々追われていた記憶が強く残っています。 なかでも、東西に走る管理区間の東側約半分は特に交通量が多く、かつ都市部を通過する区間であったため、コンクリート床版の劣化により発生する舗装のポットホールやコンクリート片のはく落への対応、伸縮装置部の段差による振動や騒音に対する沿線住民からの苦情対応が非常に多く、橋梁の老朽化がもたらす様々な影響について肌で感じながら初任地での業務に従事していました。 その後、入社5年目からは、西湘バイパスおよび箱根新道における橋梁の維持管理に従事しました。西湘バイパスでは塩害による損傷が顕在化しており、その対策としての橋脚の断面修復や主桁の電気防食について計画から施工まで携わりました。波打ち際に橋脚が建っているという路線であったため、コンクリート中の塩分量調査を行う際にも、機材を濡らさないよう波から逃げながら苦労して試料を採取したという思い出があります。 箱根新道においては、当時は耐震補強対策の計画、設計段階でした。当該路線は急峻な山岳地域を通る路線であり、また、沿線は国立公園に指定されていることもあり、周辺の景観と調和した特殊な形式の橋梁が多く、それらをどのように耐震補強するのが合理的かといった検討に携われたことはとても良い経験になりました。ここでの勤務においては、中央自動車道とは違った特殊な自然環境の中での橋梁の維持管理というものを勉強させていただきました。 入社後10年間の大部分は橋梁の維持管理に携わることとなりました。その後に従事したのが東九州自動車道の建設でした。支社と事務所での勤務を通じて、橋梁建設の設計から施工までの一連の業務に携わることができたのがこの時期でした。また、この時期に、三井住友建設との共同研究で行っていた非鉄製材料の適用による超高耐久橋梁の開発に携わることができたのも自分にとっては貴重な経験となりました。 その後、2014年からNEXCO総研への1度目の出向となりました(現在が2度目の出向中)。ここでは、高速道路橋の建設、管理における計画、設計、施工に必要となる技術基準を作成することが大きな役割でしたが、同時に産官学の幅広い分野の方々とのつながりができたということが大きな財産となっています。その後は新名神高速道路の橋梁建設に携わり現在に至っています。橋梁の維持管理の現場業務からはしばらく離れていますが、入社当時の老朽化対応の日々を忘れずに今後も業務に取り組んでいきたいと思います。 次は、昔から度々お世話になっている八千代エンジニヤリングの石川義樹様にバトンをお渡しします。