各地を転々

前橋工科大学准教授 谷口望前橋工科大学 准教授 谷口 望

 私が橋梁に関わることになったのは、早稲田大学・依田照彦先生の影響が大きい。入学したこの大学では、勉学に大変苦労した。そのなかで比較的成績が良かったのが、依田照彦先生が教鞭をとっていた「構造力学」であり、卒業研究では無事に依田研究室に配属になった。結局、早稲田大学では、博士課程・助手まで居続けることになった。この時は、背景や目的も良くわからずに、ひたすら先生に与えられた実験結果(波型鋼板ウェブを持つ合成桁の実験など)を再現する解析に取り組んだ。当時は自作のFortranプログラムを使用していたが、うまく流れないプログラムを小さいブラウン管で凝視する日々が続いたため、視力が低下した。
 任期制だった大学助手の次は、鉄道総合技術研究所(鉄道総研)に入れてもらった。鉄道総研では、鉄道構造物の設計や維持管理に関する基準作りや、鉄道事業者からの鋼橋に関する相談を受ける仕事をした。基準作りでは有識者委員会で検討が進み、大学研究者、事業者、設計者など、様々な立場での御意見を聞くことができ大変勉強になった。また、実物の橋梁に関われたり、鋼橋の損傷事例や事故事例を実際に見られたことは、現在の研究活動に大きく役立っている。
 鉄道総研からは、東日本旅客鉄道(JR東)・東京工事事務所に2年間出向した。出向1年目は工事管理室という部署で、設計に関する業務を担当した。自分で直轄設計することはなかったが、時間の無い中で設計審査をしなければならないという、なかなかスリリングな仕事であった。もう1年は、横浜駅の建設現場(神奈川工事区)で鋼ラーメン高架橋の組み立てを担当した。ここでは、橋梁だけではないが、いろいろな工事の監督業務を行い、夜間作業を中心として線路閉鎖手続や保安打合を繰り返した。工事区ではいろいろなトラブルに遭遇し、協議の重要性や施工現場が一筋縄ではいかないことを理解した。工事区時代のメンバー間では笑い話ではあるが、駅構内の暗闇の中で穴に落ちて大怪我をしそうになった恐怖はよく覚えている。
 さらに、鉄道総研からは、京都大学・JR西日本寄付講座に特定助教として2年間転出した。超有名な先生方が多数いる中では圧倒されて、暴れずにおとなしくしていた気がする。やはり橋梁とは関係ないが、学生を指導する時間は少なく、期間限定という役職のため、経歴の中でも比較的ゆっくりとした時間を過ごせた。多忙な今となっては、遠い昔の話や夢の中の話だったかのように思える時期である。
5年前ほどに鉄道総研を退職し、前橋工科大学の教員になった。一流大学とは異なる状況かもしれないが、昔の大学とは大きく様子が変化している。授業は15回を計画通りに行うこと(むやみに休講できない)、出席を必ず取ることのほか、学生が講義を評価するアンケートや、ほぼ成人相手のはずなのに保護者との面談までもある。
 上述のように、社会人経験18年、勤務会社5か所(異動7回)ということで、定職に就かない人のごとく各地・各社を転々としてきたが、さまざまな立場から橋梁を見られたことは大変良い経験となった。橋梁を作るにもあらゆる分野の専門家が協力しなければならず、研究、理屈だけや、自分一人の技術力だけではうまくいかないことを、身をもって理解した。将来の技術者育成については、大学がこのような状況であり不安であるが、橋梁の構造美や仕事の楽しさを伝えたいと思っている。
 次は、鋼橋技術研究会の部会活動で大変お世話になっている、川田テクノシステム株式会社の趙清様にお願いする。

愛知製鋼