昭和に始まった小欄も平成、令和と三代続いてきた。本号が新元号「令和」となって第一号の執筆になると思うと、いささか身を正して枡目を埋めていかねばと思うから不思議な気持ちだ▼令和を迎えて、これまでこの仕事で忘れられない思い出を、橋梁専門記者47年のあれこれのひとつとして、紹介しておきたい▼昭和のある年度末、新年度のインタビューで発注機関の企画開発部長に単独取材した。年末に記事を書き上げ、確認方、部長のもとに持参したがご本人は新年度予算の国会審議で多忙を極め会えずじまい。ようやく原稿の確認にこぎつけたのは、まさに年の瀬の12月31日の夜8時過ぎだった▼退出間際に「原稿はこのままでオーケーです。さすが記者だね」とのねぎらいと過分のお褒めの言葉をもらえた。東大出身の企画開発部長で筆者は恐縮しきりだったが、記者冥利に尽きた▼また、もう一つの思い出。比較的長時間になった取材の辞去間際相手側が「あなたの聞き方がうまかったから、少しゃべりすぎた」と言われたことも。取材を通じて勉強、成長させてもらえることもこの稼業の特典だ▼年末ギリギリまで仕事をするなど、いまの時代ならNGだが、記者の仕事は相手と会って成り立つ稼業。働き方改革通りではつまらないように思える。