吾唯知足2020年4月21日号掲載分

吾唯知足橋梁記者47年、様々な橋梁現場を取材し、常々、記者は「下津井瀬戸大橋」を、日本の橋梁史の石碑(小紙風に言えば「紙碑=紙のいしずえ」)として評価するものだ▼勿論、ネームバリューでは明石大橋などには及ばないが、瀬戸大橋海峡部最北端にある、この橋の完成があればこそ、当時皇太子であった現上皇夫妻をお迎えしての、瀬戸大橋全面開通の式典が実現した▼南・北備讃瀬戸大橋、岩黒・櫃石大橋などの瀬戸大橋、大鳴門橋、そして明石大橋に至るが、こうした橋と共に、全国に様々な長大橋が建設されていく▼高度経済成長期から安定成長期、あの騒がしいバブルを経てもなお、わが国の橋梁市場の隆盛は続いたが、その道のりをつぶさに紐解けば、様々な「艱難辛苦」があった▼今まさに世界で猛威をふるう、新型コロナ肺炎の感染拡大は、日本においても、行きつくところまで行くのかもしれない▼かつての本四架橋事業もまた、あの時代のうねりに巻き込まれ着工延期、そうした生みの苦しみを経て、爛漫と花開いたもの▼今まさに、時代を飲み込もうとする「艱難辛苦」を我々は、もう一度乗り越えて行かねばなるまい。ゼネコンのコロナ感染が、全国地方自治体などの現場まで拡がらないよう祈るしかない。

愛知製鋼