新型コロナウイルスにより、これまでに積み上げられた制度や風習、習慣の多くが形骸化していることは残念だ。感染し重症化すると一気に生死のカギを握られるため、医療崩壊を旗印に感染防止や防疫に集中した結果、経済は激しく落下・失速中だ▼過度の要請・要求を今なお引きずっている。時代が求めるものは何か、立ち止まって省みる必要があろう。経済を止めることは社会の自死に等しく、民間が動かなければ、公が動くしかないはず▼地域の公共事業が、持続可能な社会のためにできることは何か。図面一枚書いてなんぼ、穴一㍍掘っていくらなど、戦後の復興や国土再興を願い挑戦してきた重鎮・先人にとっての希望も、補正予算はせいぜい二、三千億円だった。それが260兆円なんて夢のまた夢だ。勿論、全てが真水ではないだろうが、我が棟梁(首相)のやる気やいかん、期待しよう▼話は変わるが、あおり運転が厳罰化されたが、ルールによる統制より、倫理の向上による社会改革の方が重要な気がする。コロナ対策の「勝ち組」の中国の支配体制を見るにつけ、そう感じざるを得ない。倫理の形骸化こそが懸念される▼そして今、豪雨による氾濫だ。砂防ダムを含めたインフラ整備、国土強靱化の形骸化は許されない。