われわれが日本史や古代史を紐解き親しむ時、千年以上前の奈良、飛鳥時代に思いを馳せる。一方この先、千年後は西暦3021年。人類の寿命は長くなった、とはいえせいぜい百年ばかり、千年も生き長らえることはない▼では千年先の橋梁はどうなっているのか。近代橋梁の祖と言われる天草五橋に立ち入り、本四、明石海峡大橋キャットウォークを2回歩いた橋梁記者として、千年後の橋梁市場や橋梁社会は大変興味深い▼ユネスコの無形文化遺産に、日本古来の木造建築を支える匠の技の登録が決まった。日本の匠の技を千年先へ▼木造建造物のみならず、技術と材質の進化を重ね発展してきた橋梁群も、連綿と受け継がれてきたものだ。それらは、飛鳥時代の奈良法隆寺(607年)や、京都清水寺(778年)のルーツまでたどらなくてはなるまい。渡月橋(836年)然り、これらは千年の範疇だ▼それから千年後、われわれはそれらを実生活に取り込んでいるのだ。してみると千年先、われわれの子孫は「令和時代の橋梁」、「平成時代の橋梁」、「昭和時代の橋梁」などと回顧し、懐旧にひたっているのかも知れない▼本紙は石碑ならぬ「紙碑」(かみのいしずえ)を謳っているから、そうした探求、探訪の一助となれば幸いだ。