1972年の日中国交正常化から、先月29日で50年を迎えた。翌73年にわが国初の橋梁専門紙として創刊した小紙としては感慨深い▼その頃、「橋梁新聞の定期購読を申込みたい」と国際便で手紙が届いた。差出人は中国鉄道省橋梁研究所主任技師の崔さんで、彼は日本で橋梁の仕事に従事していたか、あるいは研修先で小紙を愛読していたのではないかと推察した。しかしその後しばらくして、外貨の関係で購読を続けられなくなったとの手紙が届いた▼それから、中国の長大橋や新幹線建設などのニュースに接するたび、崔氏のことが思い出された。この先は膨大な保全事業が待っている。北京市の橋梁数は東京都全域の橋梁数に匹敵すると言われ、それは並大抵の仕事ではない▼これまで、政府開発援助(ODA)と経済の後押しなどにより、国内総生産は日本の約3倍、世界第2位まで上り詰めた。この先は、橋梁の叡智や技術を生かして保全事業に取り組むとともに、営林などで環境改善に努める必要もあるだろう▼例えば揚子江流域を、地球環境に貢献する緑豊かなアマゾン川のようにしたらどうか。今後は保全事業にまい進し、地球の環境改善に寄与することで、わが国の橋梁関係斯界に新たな刺激を与えることは大歓迎だ。