この夏、世界規模の異常な暑さに加え、世界各地で大雨や地震が頻発した▼また米・ハワイ州やカナダ・オンタリオ州の山火事を見るにつけ、国土の7割近くが森林である日本も人ごとではないと感じてしまう▼「火事と喧嘩は江戸の花」と言われ、当時の江戸人が、火事を風物詩ようにとらえていたと思う向きもあるかもしれないが実際の被害には慄然とする▼例えば「江戸の三大大火」といわれる「明暦の大火」は明暦3年(1657年)、大名屋敷500、旗本屋敷770、寺社350、さらに町屋400町と橋60が焼失し死者は10万人を超えたという▼「目黒行人坂の大火」は明和9年(1772年)のこと、934町が焼失し死者数1万4700人。「丙寅の大火」が文化3年(1806年)、530町以上が焼失、死者は1200人を超えるとされる▼近代以前の社会体制、木造家屋中心の都市構造、世界に冠たる百万都市の江戸において2~3年毎に大火に見舞われていたという▼丙寅の大火から約100年、関東大震災(1923年)においても死者の9割・9万人超が火災によるものだ▼そして100年後の現在、かつての江戸や東京市とは、その構造を大きく異とするとはいえ、受け継ぐべき教訓を生かすことは重要だ。