1973年4月に前身である「本四連絡橋通信」を創刊し今年で50年、旧紙名の通り本四架橋に始まり、共に歩んできた50年だったと自負するものだ▼創刊後の9月に本四3ルートが正式に発表された。時の宰相は72年7月に総理に就任するや、9月には日中国交正常化を成し遂げた田中角栄▼3ルートの起工式も73年11月25日に決定し、「今太閤」のもと、そのまま順調に進むかに思えた矢先、同年10月、第四次中東戦争に端を発する第1次オイルショックが日本を襲う▼狂乱物価の造語が流行り、人々の不安に流言が加わり「トイレットペーパー騒動」のような笑えない社会現象の中で、内閣は総需要抑制策に舵を切る▼まさに起工式を5日後に控えての着工延期が決定する。当時、取材準備に余念がなかった記者自身、無念の気持ちを拭えずにいた▼一方で当時出会った本四架橋に懸ける多くの技術者がこうした事態にあっても、なお微塵の揺るぎもなく、敢然と前を向き、内に秘めたる志を滾らせる姿には頭が下がる思いだった▼瀬戸を跨ぎ、海峡を渡るこの難事業、果敢に挑み成し遂げた多くの方々に関わり、取材してきた橋梁記者生活50年を振り返りつつ、これまで取材を通じて出会った皆様に感謝申し上げたい。