吾唯知足2023年6月1日号掲載分

吾唯知足 G7サミットが5月21日に閉幕、議長国・日本の岸田首相は一定の存在感を示し、各国首脳が原爆資料館を訪れ、オンライン形式の会見と思われていたゼレンスキー大統領も来日、外交的には大きな得点だった▼開催地となった広島市内には現在6つの川が流れ、橋梁の数も多く、橋の町と言ってもよいと思う。とりわけ明治以降に架橋された名橋は人々の生活を支えてきた▼1945年8月6日当時の人口を窺い知る資料は喪失し正確な数字は不明だが、当時、広島市には約35万人がいたらしい▼爆心地から1キロ内ではほぼ即死に近く、1・2キロ以内で50%を超す人が当日の内に亡くなったという。また2キロ以内の建造物は熱線により発生した火事でほぼ全てが焼失、それも30分以内に▼辛くも生存し動くことが出来た人の多くは、まず川と橋に向かい、渡河し、もしくは土手沿いに安全地帯を目指したそうだ▼当時50橋以上が市内にあり、凄まじい破壊の中でも40橋以上は渡橋が可能だったようだ。多くの人にとってその橋が命の橋だったかもしれない▼多くの日本人に歓迎されたゼレンスキー大統領だったが、原爆資料館での言葉、「破壊された広島の写真はバフムトなどの街に似ていた」はあまりにも切実だ。

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