夢の架け橋

石田 雅博寄神建設株式会社
技術研究所副所長
石田 雅博

私の実家が明石海峡大橋の工事現場から歩いてすぐの所にあり、高校生のころ舞子の浜から見える大きなケーソンや作業船を見ながら、凄いな~こんな地図に残る仕事をしてみたいと思ったことがこの業界に入ったきっかけでした。 入社の動機も会社案内に掲載されていた起重機船で橋梁架設をしている写真を見て単純ですが、「カッコいい、こんな仕事がしたい」と思ったからです。 入社後、3000トン吊起重機船の乗組員として配属され、現場での作業がどれほど厳しく、危険と隣り合わせなのかを思い知らされました。 それ以降、この経験を忘れず如何に現場の最前線で働く皆さんが安全で段取りよく作業できるかを考え計画することを心掛けて来ました。  起重機船を下りた後、四国の今治出張所に監督として配属され、本四架橋の工事に携わり私の橋梁人生が始まりました。 本四架橋(しまなみ海道)の多々羅大橋下部工工事、来島大橋では起重機船や自航台船を使用した補剛桁架設、徳島池田湖橋下部工工事、東京ゲートブリッジでは大型起重機船3隻を使用した相吊での架設、東京富士見橋架設、三重県霞4号幹線橋梁架設、徳島新町川橋梁架設など色々な地図に残る仕事を経験しました。 その中で簡単ですが国内外で経験した思い出深い橋梁架設を2つ紹介します。 一つめに韓国の群山で行った群長大橋架設工事です。 群山市と長項市を結ぶニールセン・ローゼ橋で全長160メートル、重さ3200トンの韓国国内最大規模の橋梁で、海外で自社の4100トン吊起重機船「海翔」を使う架設工事は初めてでした。 架設場所への吊運搬の距離は13キロメートル、航路幅は狭いところで200メートル、潮流も最大4・5ノット、干満差は6メートル、吊り運搬距離の半分以上が水深が浅く干潮になると潮干狩りが出来るような状態となる場所で、作業船の喫水から必要水深を考えると6・1メートル以上必要でした。 実作業は潮汐+6メートルの満潮時(転流)の2時間で吊り運搬し、干潮の間に架設、次の満潮のタイミングで架設現場から離脱し無事ヤードに戻ることができました。 日本有数の狭海域・強潮流だった本四架橋での経験が活きた現場でした。現地企業との仕事で言葉も仕事の進め方、考え方も全く違い大変苦労しましたが日本では味わえない経験をしました。 二つめに、沖縄県宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋(3径間)を4000トン吊起重機船「洋翔」で架設した工事です。 架設場所は外洋に面していて風速は常に約10メートル、潮流も最大約2ノット、波のうねりもあり、至る所にサンゴ礁、浅瀬があるなど作業条件の厳しい場所でした。 某国のミサイル発射の影響で作業が順延になるなど影響し、最終の中央径間架設を残しあと少しのところで台風3号4号の接近により起重機船を長崎伊万里港まで避難させる事が必要となり架設は断念、翌年に持ち越しとなりました。 翌年、再チャレンジし天候にも恵まれ、2年越しで中央径間架設を無事完了することができました、その時に架設見学に来られていた島民の皆さんの笑顔が忘れられません。題名の〝夢の架け橋〟この仕事をしていて良かったと思えた瞬間でした。 今後の抱負は私の地元神戸で大阪湾岸道路西伸部という大きな橋梁プロジェクトが控えていますので、今までの経験や技術仕事のやり甲斐などを若手技術者へ継承していくことが役割だと考えております。 次に紹介させて頂く方は、元会社の同僚でもあり仕事で大変お世話になっているトランスオーシャンの大野豊樹様にバトンをお渡します。

愛知製鋼