株式会社日本ピーエス
事業推進本部事業開発グループ長
天谷 公彦
私は、2001年に岐阜大学大学院を修了し、PC橋の専門建設業である日本ピーエスに入社しました。私が橋に興味を持ったのは小学生の時です。ソフトボール部に所属していた私は、福井県代表として2度全国大会に出場しました。下関の大会では空き時間に関門橋を見学し、橋のカッコよさに興味を持ちました。高知の大会では、四国に渡る際に開通したての瀬戸大橋を利用しました。この時、見た目や規模だけでなく、それまでは連絡船か航空機でしか渡れなかった四国に、バスでたったの15分で渡れることに感銘を受け、「橋」への興味が深まりました。 入社後は「人の心に残る橋をつくりたい」という想いを胸にPC橋の設計・施工に従事しました。最初の2年間は、PC橋の設計と施工の業務に半々ずつ従事する機会を頂きました。手探り状態で業務をこなす日々でしたが「まずは自分で解決方法を考え、自分の考えを持って質問する」ということを心掛けました。3年目からは技術開発の部署に異動になり現在に至ります。ここで、これまでの社会人生活を振り返ると、いくつかの転機がありました。 一つ目は、2009年~11年の2年間、土木研究所材料資源研究グループ基礎材料チームに交流研究員として勤務し、渡辺博志上席研究員のご指導のもと、コンクリート材料の耐久性評価手法の研究に従事したことです。学生時代はメタルの研究室に在籍しており、入社後も構造に関わる業務がメインでしたので、コンクリート材料に関する知識を深める良い機会になりました。当時の上司から頂いた「この2年間は何もしなくても過ぎていくが、行動した分だけ成長につながる」という言葉を胸に、自ら動くことで有意義な経験を積むことができました。 二つ目は、プレストレストコンクリート工学会の「PEシースを用いたPC橋の設計施工指針作成に関する検討委員会」に幹事として従事したことです。この委員会では、大学の先生、道路・鉄道管理者、民間のプロフェッショナルな技術者と連携し、実験・解析結果をもとに深い議論を通してその成果を一冊の指針に取り纏めました。この機会に、周囲の方と連携してチームで仕事をすることの重要性を学ぶことができました。 三つ目は、先の委員会でのご縁をもとに社会人ドクターとして博士後期課程に進学し、京都大学大学院の山本貴士教授のご指導のもとで研究を行ったことです。ここでは、「事象の問題点を抽出し課題を解決する能力」、「検討結果を納得いくまで考察することの重要性」、そして「課題を解決するには強い意志と行動力が必要であること」を、経験を交えて学ぶことができました。また、この研究成果を取り纏めた論文で土木学会の論文賞を頂くことができました。この場を借りて、ご指導いただいた皆さま、お世話になった皆さまにお礼を申し上げます。 入社当時の想いは、経験と共に「より良い社会をつくることに役立ちたい」という想いに変化しました。私ごとですが、この原稿の執筆期間に47回目の誕生日を迎えました。孔子の『論語・為政』に「子曰く、吾十有五にして学に志す、…、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、…」という言葉があります。学問を志す時期も遅くなり、今も迷いはありますが、自分の使命は少し分かってきた気がします。今後も、周りの方々の力を借りながら「橋梁」を活用して社会課題の解決に取り組んでいきたいと思います。 次は、私が初めて委員会という社外活動の場に出て行ったときから懇意にしていただいている、オリエンタル白石の二井谷教治さんにバトンをお繋ぎいたします。