思い出となる橋のために

具志 一也大日本コンサルタント株式会社
構造耐震技術センター耐震保全技術室 室長
具志 一也

動物好きで幼少期は「動物のお医者さん」になりたかったはずが、大学まで勉強をしたくないという思いと「公共工事は食いっぱぐれが無い」という大人の意見にも流されて、神戸高専の土木工学科に進学。高専卒業時には、一度は橋梁メーカーに願書を提出するものの、今度は「働くのはもう少し後でいいか…」と思い大学へ編入。大学では「実験はちょっと…」という理由で橋梁を対象とした構造解析の研究室に所属。大学院修了時には電力会社への就職を考えるも、そこは選考スケジュールが他企業より遅く、「早く決まりそう」という理由で橋梁設計を得意とする大日本コンサルタントに入社。 本執筆のお話を頂き、まずは社会人になるまでの人生を振り返ってみましたが、消極的で周りに流された選択をしてきた事を再認識した次第です。ただ、その中でもなぜか「橋梁」に関連する選択をしてきており、私の人生で「橋梁」だけが軸になっている事にも気付かされました。思えば幼少期に飼っていたインコが亡くなり泣きながら海に流しに行った神戸大橋下の北公園、阪神淡路大震災での被災と阪神高速道路倒壊の衝撃、母方の故郷である徳島県へはフェリーを乗り継ぎ一日移動だったものが、大鳴門橋そして明石海峡大橋が開通し、ついには数時間の車移動のみで帰省できるようになったことなど私の思い出の中には橋梁があり、土木技術者への道を選んだ時から橋梁に携わることは必然だったのかもしれません。 大日本コンサルタント入社後数年間は新設橋梁の計画・詳細設計に携わり、当時では比較的新しい構造形式であったPRC2主版桁橋や波形鋼板ウェブPC箱桁橋の業務も担当させて頂き、橋梁技術者としての礎を築いてきました。 そして入社7年目に、私のその後の橋梁技術者としての方向性が決まる上司と出会います。その上司の下では、本四連絡橋などの特殊橋梁も含む数多くの既設橋梁の耐震補強設計や補修設計、また既設橋梁特有の構造特性を考慮した耐震設計法に関する技術検討などを経験してきましたが、その中でも生まれ故郷のシンボル橋である神戸大橋も含む「神戸港湾幹線道路ハーバーハイウェイ長大橋耐震補強設計」は既設橋梁の技術者として成長できた業務として印象に残っています。 本業務では各長大橋の役割と性能を整理したうえで各橋・各部材で耐震性能(要求性能)を設定し、それを満足する耐震補強設計を実施するもので、当時としては先進的な性能設計を取り入れたものでした。道路橋示方書の規定から一歩踏み込んだ検討を実施することから委員会が立ち上げられ、設計地震動設定から耐震性能照査や耐震補強工法検討などでは委員の先生方から親切丁寧なご指導を頂きなから検討を進めたことも刺激になりました。 また、簡易な構造解析モデルでの設計では大規模な補強が必要になり現地施工条件から実現不可となるところを、一部にFEMシェル要素を組み込むなど高度な解析技術を駆使し、地震時の応答精度を高めることで合理的な耐震補強対策を実現できたことに非常にやりがいと達成感を感じました。それ以降、現在も既設橋梁に関する補修補強設計業務を主として担当していますが、これらの業務では橋の劣化損傷部や弱点部に対し状況把握と原因究明(精密検査)を行い、補修補強設計(治療)を実施するもので、これはまさに生き物の医療行為と同様に感じることがあります。 「動物のお医者さん」にはなれませんでしたが、「橋梁のお医者さん」になったつもりでこれからも皆様の思い出になるかもしれない橋梁達を守っていけるように貢献できればと考えております。 次回は、ハーバーハイウェイ耐震補強工事にて、耐震補強設計を高い技術力で形にして下さったショーボンド建設株式会社補修工学研究所副所長の木田秀人様にバトンをお渡しさせて頂きます。

愛知製鋼