持続可能な社会へ貢献

若林 良幸株式会社IHI
インフラ建設 開発部開発グループ課長
若林 良幸

私が今の会社の前進、ピーシー橋梁に入社した1989年はバブル経済の絶頂期で建設業界は他産業に比べ景気が良い時代でした。入社から約21年間は関西国際空港、広島新空港の開港にともなうアクセス高速道路、徳島自動車道、第二東名・名神、中国横断自動車道など、数多くの橋梁プロジェクトに従事しました。当時の橋梁は新工法が多く、計画・施工する上で社内外の技術者の方々の指導・援助および作業員の皆様と試行錯誤しながら、現場ごとにワンチームで完成させたことは大きな経験であったと感じています。その中でも、印象に残っている橋梁をご紹介します。 大阪支店勤務だった入社2年目の1990年は大阪の貝塚市、二色の浜海水浴場内を架橋する現場に配属されました。その現場は、PC箱桁の橋梁を構築していく現場で、当時では過去の施工例が少なかった箱桁のセグメントをダブル架設桁架設機により張出し架設していく工法と、移動作業車により張出し架設工法にてものでした。私は、主に移動作業車の施工を担当していたのですが、ある日、セグメントの架設もスポットで担当することになりました。この工法では、基準セグメントの架設精度は重要なポイントです。架設にあたっては神経を研ぎ澄ましながら、なんとか設置しました。作業した当日は疲れて、夕食をとりながら眠ってしまった日もあったと記憶しています。この経験はあとの工事へとつながっていきます。 1995年に四国支店へ転勤となり、四国のへそと言われている徳島県池田町の吉野川に架かるバランスドアーチの高速道路橋の現場に配属されました。この橋は最大支間が200mであり、大型の移動作業車を使用し補剛桁、アーチリブ、鉛直材および斜吊り材でトラスを構成しながら、橋脚の両側を同時に架設する我が国初の特殊な工法でした。橋梁下に国道、JR土讃線、河川、野球場があり、第三者に対する安全はもとより、水質汚濁防止にも配慮しながらの施工していく必要があり、作業中はその対策で、日々緊張の連続でした。また、この橋梁は完成後、地域のランドマークとなっており、ここでの経験はのちの現場計画にも役立ったと思います。 1999年から再び大阪支店に戻り、2002年は、愛知県安城市の第二東名高速道路の現場に配属されました。日々製作するPC箱桁セグメントを滋賀県東近江市の自社工場近くの製作ヤードとオリエンタル白石さんの甲良工場の両方で総数1470個のセグメントを製作・管理した時は、その専任技術者として感無量でした。製作工場では、日々繰り返しの作業です。サイクルの中で作業がマンネリ化し、事故や失敗をさせないような管理を心掛けていました。また、製作した、セグメントの形状を精度よく管理するため、CCDカメラを用いた3次元画像計測をおこない架設に反映させることもできました。 19年目の2008年は、広島県の尾道市の鋼・PCの複合構造の橋梁の現場に配属されました。この現場は波形鋼板ウェブ橋と鋼桁を鋼殻セルにより接合する構造で、その接合計画では移動作業車を用いた施工方法を確立できました。 2011年10月に会社が統合し、IHIインフラ建設となりました。統合してからは、開発や技術提案業務に従事しています。この約10年は、過去の現場経験が活きていると感じています。今回、バトンを渡して頂いたオフィスケイワンの保田敬一様とは、日建連表彰 土木賞「特別賞」を受けた島根県の湖陵多伎道路多伎PC上部工事から、開発関連でお世話になっています。一期一会の出会を大切にし、この時代の変化にいち早く対応しながら、持続可能な社会へ開発を通して少しでも貢献できたらと考えております。 次は、池田へそっ湖大橋で工事をご一緒した、オリエンタル白石の森隆志様にバトンをお渡しいたします。

愛知製鋼