ジオ・サーチ株式会社
執行役員橋梁・舗装事業開発部長
森田 英明
私が高校生の時に瀬戸大橋が全線開通しました。 本州と四国をつなぐ長大橋をテレビで見た際、その壮観さに衝撃を受けたのを覚えています。 大学生になって、生まれ育った関西から九州へ移って一人暮らしをすることになり、夏休みなどに関西へ帰省する際に瀬戸内海を航行するフェリーから瀬戸大橋を眺めることが楽しみでした。 大学では構造研究室に所属し、「線長比例張力部材によるネット形成曲面に関する研究」に取り組ませていただきました。 大学卒業後は、大阪勤務になり、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市内にある国道バイパスの震災復旧設計チームへ配属になりました。 そこでは、全国の支社から大阪に集結した精鋭の先輩方からご指導を受けながら被災橋梁の機能回復に向けた構造解析を担当しました。 のんびりと過ごしていた大学生の時とは一変し、震災復旧に少しでもお役に立ちたいという想いで日々新しいことを学びながら奮闘しました。 震災後の耐震指針には通称「復旧仕様」という暫定的なのものがあり、想定できる全ての荷重ケースに対する構造解析結果を比較検討して最適な設計に繋げる重要性をこの時に学びました。 その後、高速道路の橋脚補強耐震設計を中心に耐震関連の設計に従事しました。このため、新設橋梁の設計に本格的に取り組んだのは社会人5年目からと少し遅かったです。 新設橋梁の設計では全体計画から上下部工の設計、施工計画まで幅広く経験し、特に施工計画では現場とのやり取りで再検討することが多々あり、現場を知る重要性がこの頃に体へ染みつきました。 阪神・淡路大震災以降、大規模地震対応の耐震設計がスタンダードになったため、早い段階で耐震設計に取り組んだことが新設橋梁の設計にも役に立ったことを思い出します。 予防保全型維持管理の必要性が説かれ始めた30歳代半ばから現在の会社でマイクロ波高解像度センサーによる社会インフラの内部診断に携わることになりました。 入社して2年経過した時、橋梁コンクリート床版の土砂化の早期発見にマイクロ波高解像度センサーの適用を研究開発する社内プロジェクトに参画して実橋の計測データを解析し、床版劣化状況との検証を繰り返し実施しました。 プロジェクトに参画してから5年後には高速道路の橋梁コンクリート床版への調査に採用されはじめ、明石海峡大橋や瀬戸大橋の鋼床版舗装の健全性評価にも活用していただくようになりました。 はじめて長大橋を調査した時、舞子トンネルを通過して明石海峡大橋が見え始める瞬間や瀬戸大橋を走り抜けた時の感動は今でも忘れません。 40歳を過ぎた頃には土木学会の委員会への参加や大学との共同研究を実施するようになり、論文発表や特許取得する機会にも恵まれました。 設計や調査で得られた経験をもとに論文や研究に取り組むことで知見を整理でき、新しいアイデアの創出に繋がりました。 現在、50歳代半ばに差し掛かり、これまでご支援頂いた方々への感謝を忘れることなく、新技術で社会へ貢献することに尽力すると共に後進の育成にも励んでいきたいと思います。 次号は日頃よりお世話になっている中村建設の金田学様へバトンをお渡し致します。