本州四国連絡高速道路株式会社
長大橋技術センター総括・耐震・耐風グループサブリーダー
金田 崇男
2005年夏に、かつての本四公団が民営化を機に、9年ぶりに新規採用することを知りました。本四といえば長大橋、とイメージが湧くように、公共財の中でも、シンボリックで世界に誇る長大橋群を活用し、更なる価値の向上に関わりたいと思い、2006年4月に本四高速に入社したのが、私と橋の関わりの始まりです。 入社後5年は神戸の本社と岡山の管理センターで、長大橋以外の道路構造物の保全に関わり、伸縮装置の補修方針の検討や取替工事、本四連絡橋の見どころを紹介するロケーションサービスの立ち上げなどを担当しました。中でも、早期に損傷が発生していた埋設ジョイントの損傷原因を分析し、技術論文をまとめ、社内外で発表した機会を通じて、技術者として一歩を歩み始めることができました。 2011年4月から大鳴門橋などの長大橋の維持管理を現場で担当しました。鳴門は本四3ルートの中で最も腐食環境の厳しい地域であり、特に添接部、支承、管理路などの腐食をどう防ぐかが長大橋の維持管理で最も重要なテーマだと感じました。 2013年4月から土木研究所CAESARへ出向し、平成29年道路橋示方書・同解説の改定をはじめ、設計基準などに関わる仕事を担当させていただきました。技術基準を司る現場で、基準の奥深さの一端を垣間見、一言一句、そして一文字を大切にする姿勢、国の橋を守るという使命感に触れることができました。初めて道示を読むような状況から始まり、忘れたくても忘れられない苦い思い出も多々ありましたが、「24時間、橋のことを考えろ」という言葉を胸に送った4年半の出向経験が、現在の私の礎になったと思います。土研時代の最初の上司である東京都立大学の村越潤先生をはじめ、日本道路協会の鋼橋小委員会・WGの委員の皆様、国総研や土研の上司・同僚の方々には大変お世話になり、感謝の念でいっぱいです。 2017年10月に本四高速に戻り、瀬戸大橋の耐震補強工事を担当しました。特に、道路鉄道併用橋のみならず鉄道橋としても国内初となる、支承取替による全体系の免震化を行った「櫃石島高架橋(トラス部)の耐震補強」は、工事受注者、鉄道事業者、添架事業者の皆様と協議に協議を重ね、設計を形にしていくことの大変さを経験するとともに、2019年度田中賞作品部門(改築)を受賞させていただくなど、思い出深い工事になりました。 2020年4月から本社の長大橋技術センターで、長大橋の耐震補強設計、長大橋のマネジメントに関する共同研究などに携わっています。共同研究を通じて、土研時代の上司で本四OBでもある、京都大学経営管理大学院の玉越隆史先生にご指導いただき、土研時代と変わらない日々を送りながら、これからの長大橋マネジメントのあり方を研究・継承していくことが、求められる役割だと感じています。 アーティストの鈴木康広さんの展覧会で、「橋は時間のオブジェ」という言葉を頂きました。長い年月をかけて橋を作り、完成したと思ったら早速直し始めている、ということを揶揄した側面がある一方で、橋は架けたら終わりではなく、そこからが始まりであり、ずっと続いていくものであることを表した言葉だと思います。これからも、本四に関わられた先輩方の想いとともに、100年、200年と本四連絡橋を活用し続けるために、どうマネジメントすべきかを考え続け、実践していきたいと思います。 次は、瀬戸大橋の耐震補強工事でお世話になった横河ブリッジの片岡義亮様にリレーします。