株式会社KBI
代表取締役
興梠 修司
私が育った宮崎県西臼杵郡は、高千穂町、日之影町、五ヶ瀬町の三町からなり山あいに位置しています。神都高千穂大橋をはじめ、隣の日之影町には青雲橋や龍天橋、天翔大橋といった高さ100メートルを超える橋が多く架設されています。 また、現在では廃線となってしまいましたが、高千穂鉄道の深角駅―天岩戸駅間に架かる高千穂橋梁は全長353・76メートルの3径間連続ワーレントラス橋で、岩戸川の渓谷を跨いでいます。この高千穂橋梁は高千穂鉄道が供用されていたころは日本で最も高い鉄道橋であったらしいです。 私が高校生の頃、高千穂鉄道に乗車すると、列車が高千穂橋梁上で一旦停止して乗客に同橋の説明アナウンスが放送されていました。停止した列車の窓から見える雄大な景色は、現在、高千穂あまてらす鉄道のスーパーカートで見ることが出来るようです。 そんな高千穂町で生まれ育った私は、自分の進路として橋梁に携わる仕事をしたいと思い、当時の(現在も)大手橋梁施工会社の入社試験に臨むことになりました。 試験当日、試験は午前8時開始ということだったので7時半に試験会場(その会社の支店)に着きましたが、まだ開場されておらず、8時になるまで待ってみました。しかし、8時になっても開場される気配がないため、その支店に電話をしてみたところ、電話に出た人から「勤務時間は9時からなのに8時から試験をするわけないだろう」と一蹴され、その後も「8時に来た奴は初めてだ」「お前はバカか」「お前みたいなバカに一生就職はムリ」などさんざん罵倒されてしまいました。 そのため、9時まで待って受付に行くと、試験担当者らしき人があわてて駆け寄ってきて、「ゴメン、8時開始で間違いなかったよ」と言われ、「君の電話に出た人がまずかった」「いや、本当申し訳ないねぇ」などと言われ、そのまま試験会場である会議室みたいなところに連れていかれましたが、すでに試験は終わっており、他の受験生は誰もいませんでした。 担当者の人は終始笑っており、「いや、ほんとゴメンな」「とりあえず試験やる?」みたいなやり取りが続き、結局私は「もういいです、帰ります」と答えてこの会社を後にしました。 この出来事により、橋梁への関心が薄れてしまい、その後、先生方の推薦もあってトンネルやシールド工事を専門とした会社に入社し、NATMやTBMなどのシールド工事に携わって来ました。 それから20数年、笹子トンネル崩落事故をきっかけに橋梁の定期点検が義務化され、私もついに橋梁に関わるようになりました。 社会人として巣立とうとしていた時、高千穂町に架かる多くの橋を見て「橋に関わる仕事を」と願った若き日の自分の願いは叶わずじまいと思われましたが、40歳の半ばを過ぎて橋梁点検や橋梁補修設計などの維持管理業務に携わるようになったことは、橋との運命を感じて良いものかどうなのでしょうか。 ただ、あのまま20歳のころから橋梁に携わっていれば、今の自分は橋梁に関してもっと多くの知見や技術があっただろうに、と悔やむこともあります。 しかし、人間は一生勉強であります。年齢も50代半ばとなり、この先どこまで働けるかわかりませんが、もう少し頑張ってみようと思います。 次回は、山口県周南市で橋梁補修工事などを手掛けておられるICGの山本孝之常務取締役にバトンをつなぎます。