三井共同建設コンサルタント株式会社
副事業部長 代島 隆夫
いま、楽しみに想うのは「10年後の橋梁技術は、いったいどのようになっているのだろうか」です。
昭和62年に大学の土木工学科へ入学し、土木工学という世界に触れ、その時は鋼構造、コンクリート工学、構造力学および土質基礎などの橋梁に関する「授業を受けた」程度で、「設計とは?」などを全く理解せずに学生時代を本当にのん気に過ごしました。
大学を卒業後、コンサルタント会社の構造設計部署に配属され、ここで初めて橋梁設計の実務に関わることになりました。いまでも記憶に新しい最初の仕事(作業?)は、道路橋や鉄道橋の設計計算書のチェックでした。設計計算書の原図(マイラー)を手にコピー機の前に立ち、「どのボタンを押せばコピーをとれるのかな?」と悩んだのが配属初日の状況です。
上司からは「設計計算書のチェックをしてみなさい」と言われ、先輩に聞くと、「基準を見て、計算ミスがないかのチェックだよ」程度のアドバイス…。
チェックをする際の教科書や参考書があるわけでもなく、設計計算書の内容に対して、道路橋示方書や鉄道標準を机の上に並べて、根拠・整合の確認、違いがある場合は手計算で再計算し、結果の相違を確認していくものでした。
最初からチェックなどというものが出来るはずもなく、頻繁に上司に聞きにいって(本当に頻繁で、自分の知識の無さに衝撃を受けたくらいです)、それでも上司は自分の作業の手を止めて丁寧に教えてくれました(恐らく煩わしかったでしょう。ありがとうございます)。
このあたりの作業で学んだことは、わからないことを見つけ、自分で調べて上司に聞きに行くことを繰り返す。といった面倒なやり方でした。今のように小さな板の画面で〝ググれば〟、多少なりとも情報が得られる環境になく、知りたいことにたどり着くことですら最初はものすごく苦労をした思い出があります。
今思えば、なんとなく基準類を読んで、その気になっていた時期でもあります。
その後、道路橋を中心に鋼橋、PC橋など様々な橋梁に加え、海外の橋梁設計にもたずさわることができました。この時はEurocodes、AASHTOといった別の設計体系も理解しなければならず、毎日が苦悩の連続でした。当然、自分一人では何もできず、先輩や周囲の同僚などに教えていただき、橋梁設計という複雑で難しい業務を経験させていただきました(本当にありがとうございます)。
このような皆に助けられた経験を経て、いまさらですが思いをはせたことがあります。それは、橋梁の利用者に使っていただけるまでに携わる多くの技術者が苦労している姿の想像です。いったいどのくらいの技術者がいて、どのような苦労をどのような情熱で、どのように克服しているのだろうと。
TPP等による経済の自由化、コミュニケーションテクノロジーなどが加速し、我々橋梁技術者(道路橋梁)を取り巻く環境は大きく変わってきています。設計に関しては、平成29年に道路橋示方書が改定され、従来の設計手法から新しい設計手法へ変化し、さらに世の中はITの革新が進み、最近ではAIが身近な道具になっています(なってきた?)。
橋梁の基礎学問、橋梁の必要性、橋梁計画、設計計算、設計図、数量計算など、今後AIが肩代わりするのかと日々思っています。おそらく、部分的にはAIが代行する日も来ると思いますが、橋梁に求める性能、その検証方法、工学的な妥当性の確認など、技術者の知見に頼らざるを得ない範疇は、まだ多くあるのだろうとも思っています。
10年後の橋梁設計の姿を想像し、今すべきことの多さを感じています。10年後に橋梁技術に携わる技術者の顔がどのようになっているのか思うと楽しみです。(自分も10年後に関われるかは、心配なところではあります)。
次は、業務で関係している大日本コンサルタントの杉野亨さんにバトンをつなぎます。