徳山工業高等専門学校
土木建築工学科教授
海田 辰将
Mr.徳山高専こと田村隆弘先生よりバトンを受け取りました。私も本校の卒業生ですが、高専時代は「流れのファンタジー」とのキャッチフレーズに惹かれて水理学研究室に所属していました。その後、広島大学に編入し、後に恩師となる藤井堅先生の授業で人生初の再試験送りにされた悔しさから構造研究室に鞍替えしました。しかし当時の研究テーマは「トラスドームの動的応答解析」であり、ここでもまだ橋は出てきません。実は私が研究として橋に関わり始めたのは博士課程からです。 当時、藤井堅先生が私たち学生を頻繁に橋の建設現場に連れて行ってくださり、みんなで釣りに行くときも道すがら車を止めて「何がおもしろいのか」「どこがスゴいのか」を熱心に解説くださいました。その影響を多分に受けて、今さら感を感じつつも「地図に残るような大きな橋の建設に関わりたい!」と博士課程からの研究テーマの変更を申し出たのですが、その際に藤井堅先生からまさかの言葉が…。 〝これからは維持管理の時代じゃー!〟 〝え、腐食…ですか?〟 今でこそ、大学や高専でも授業が展開されるほど維持管理マインドが定着していますが、当時は腐食で鋼橋が落ちるとか、構造部材が座屈・破断するといったようなことは全くイメージしていなかったので、学位取得に一抹の不安を覚えました。 かくして私の学位テーマである「腐食した鋼構造物の腐食形態と保有強度評価法に関する研究」が始まりました。当時は色んな意味で腐食鋼材を入手することが難しかったことから、様々な腐食形態を想定した疑似腐食表面を数値的に生成し、FEMによる耐荷力解析から始めました。当時の学会では「そうなる前に普通は取り替えるでしょ?」といった手厳しい質問も度々頂きました。 ほどなくして、高知県の河口で100年間供用後に撤去されたボロボロの鋼桁を譲り受けたのですが、その橋げたの撤去工事を多くの近隣住民の方々が見守っておられました。このとき、高齢の女性が「学生さん、この橋には生まれた時からお世話になってきた。(研究材料として)世の中の役に立ててください」とおっしゃり、主桁に向かって手を合わせられていたことが衝撃的でした。この一件から、当たり前だった風景の一部が無くなることの意味や、橋が地域にとっての財産であることを実感し、誇りをもって学位研究に取り組むことができました。 学位取得後、私は念願叶って大学・高専教員となり現在は母校に勤務していますが、私自身が橋と関わり興味を持つきっかけとなった「現場」に学生たちと一緒に出掛ける機会を多く作っています。具体的には、全学年の学生にLINEやTeamsで声掛けし、手が挙がった学生と県内外の多種多様な現場に足を運びます。2015年から「現場100回プロジェクト」と勝手に名乗り、年10回以上のペースで県内外の現場に出かけています。 この6年で行った現場は77件(残り23回)、延べ516名(うち女子277名)の学生を巻き込みました。その教育効果も目に見えて実感できます。私自身がそうであったように、学生たちはいつどこで心に火が付くかわかりません。高専教員として、授業や研究活動だけでなく、現場見学やブリッジコンペを通じて15歳からの学生たちとゼロ距離で向き合うことの面白さを日々実感しています。 さて、次回は大学時代に苦楽を共にした研究室の後輩であり現在も現場見学などでお世話になっている、川田工業の原考志様にバトンをお渡しします。