鋼橋の維持管理に携わって

木ノ本 剛首都高技術株式会社
技術部構造技術課長
木ノ本 剛

大学時代は水系研究室に所属していた私が橋梁の仕事に携わったのは、2000年に首都高速道路公団(現首都高速道路株式会社)に入社し、維持管理を行う部署に配属されたのがきっかけでした。入社間もない頃、勉強のために参加した点検結果の報告会で、キングファイル数冊にもなる損傷の報告書を見て、損傷の多さに衝撃を受けるとともに、維持管理の重要性を認識するきっかけになりました。その後、上司であった下里哲弘先生(現琉球大学教授)の下で、当時、問題が顕在化してきていた鋼製橋脚隅角部の疲労損傷に関する損傷調査や補修・補強対策の会議に同席するようになり、鋼構造物の疲労損傷対策に取り組むようになりました。  2003年からは首都高速道路技術センターに出向し、鋼製橋脚隅角部の疲労損傷対策の集中的検討を行う緊急補強対策室にて、ファブリケーター各社から出向されていた方々と技術的検討の最前線で学ぶ機会を得ました。現場でのき裂調査、FEM解析や実物大疲労試験体を用いた補修・補強検討など、全て一から覚える事ばかりで非常に苦労しましたが、経験豊富な先輩方の助言を受けながら様々な経験をさせてもらうことができました。溶接構造物の疲労損傷対策の権威である三木千壽先生(現東京都市大学学長)を中心とした対策検討会では、一つ一つの損傷に関する調査結果、対策検討結果に対して毎週の様に深い議論が行われ、「損傷原因を究明する」、「原因を取り除く対策を行う」といった損傷対策の基本を身に付けることができた場と言えます。多くの学識者や橋梁関係のエンジニアの方が参加した会議で、自分の担当した案件の調査結果、検討結果を説明し、様々な視点でのご指摘やご助言をいただけたことが自分の成長に繋がったと思います。特に、三木千壽先生から「君は自分の目でクラックを見てきたか?」と毎回の様に問われ、損傷を自分で確認・調査し、原因を考え対策を検討することの大切さを教えていただきました。  2005年に首都高本社に設置された鋼構造物の疲労対策を専門に行う部署に戻り、鋼製橋脚隅角部、鋼床版、鋼桁の疲労損傷対策の検討や対策実施後の現地確認を行う傍ら、東京工業大学の三木千壽先生の研究室に研究生として週3日通い、疲労試験やFEM解析を行う機会を与えていただきました。当時の研究室のゼミには橋梁関係者の方々も多く参加されており、疲労、耐荷力、非破壊検査の高度化、橋梁モニタリング、FEMベースの設計等、鋼橋に関連した最新技術の検討について議論が交わされており、ゼミに参加し多くの知識を吸収できたことは貴重な経験でした。  2011年には独立行政法人土木研究所に出向し、既設鋼橋を対象とした損傷分析・対策検討の研究や、実際に発生した損傷の診断などに従事しました。当時、道路橋示方書の改定作業が大詰めの段階にあり、改定作業に携わることで規定の意味や背景を学び、示方書への理解を深められることができました。その後、首都高に戻り本社や管理局で維持管理の仕事を中心に従事した後、2020年から首都高技術に出向し、現在は国や地方自治体が管理する橋梁の補修・補強検討や耐震検討に従事しております。改めて振り返ると、様々な機会を与えてもらい、多くの素晴らしい方々に出会い、ご指導やご協力いただきながら、橋梁の維持管理の仕事に深く携わることができました。引続き、橋梁の維持管理に携わり、自身の技術力向上を図るとともに、経験してきたことを次の世代に伝承していきたいと思います。  次回は、維持管理の仕事で何度かご一緒させていただいているJFEエンジニアリングの志賀弘明さんにバトンをお渡しします。

愛知製鋼