川田工業株式会社
鋼構造事業部技術部 担当部長代理
田中 一夫
入社年度は1990年。最初の配属先は技術本部技術部設計2課(当時)。その時から鋼橋の設計一筋で今に至っている。 大学4年生の時に横浜ベイブリッジが開通した。大学での専攻は基礎構造だったが、横浜ベイブリッジの建設を横目に見ながら、こういう橋梁の仕事に関わりたいと思ったことが橋に携わるきっかけとなったという。 会社の理念は「安全で快適な生活環境の創造」。 「その意味で、わたしの仕事はやはり安全、快適さをインフラにおいて技術によって貢献していくことだと思っています」 忘れられない仕事は入社して4年目に、日本道路公団(当時)北海道縦貫自動車道の北海道虻田町に架かるホロナイ川橋(橋長107メートル・最大支間長53メートル、鋼2径間連続PC床版2主桁橋)の設計を担当したことだ。 今では高速道路で一般に使われている2主桁橋だが、高速道路としては、わが国初の本格的2主桁橋がこのホロナイ川橋だった。 設計担当の後に工事部員として現場も担当させてもらい、今までにない面白さを覚え、とても勉強になった現場だったという。 「現場から設計としてどうだと聞かれることもしばしばで、設計と現物の違いを考えながら、諸先輩方に指導を仰ぎ、自分でも色々調べながら取組んでいたことをいまでも思い出します」 もう一つの忘れられない仕事は、台湾新幹線C250工区の鋼トラス橋の架設設計担当として、現地に半年常駐したことだ。 初の海外で言葉も通じない中、現地のエンジニア達とコミュニケーションを何とかとりながら進められたことと、海外の設計基準に触れるのが初めてで、とても良い経験になったという。 「今後、橋梁の保全へのシフトの中でインフラの維持管理、改良工事に取組んでいくこと。もう一つは若手教育において、われわれの時代とは違った効率的な設計業務のやり方で進めていかなくてはと考えています」 岩手県出身の52歳。(永島誠司)