九州工業大学大学院
建設社会工学系准教授
日比野 誠
私は大学に所属してコンクリート材料の研究に従事しており、橋梁に関する実務経験はありませんので、今回はこの研究の世界に迷い込んだ駆け出し時代の思い出をご紹介したいと思います。 1990年に九州工業大学に入学し、はじめて「研究」と出会ったのは、出光隆先生のご指導のもと卒業研究に取り組んだときでした。テーマは、PICフォームを引張縁に配置した梁の曲げひび割れ間隔に関するもので、ファイバーモデルで鉄筋コンクリート梁の曲げ挙動を解析することから始め、ひび割れ間の鉄筋のひずみを計測する実験など多くのことを試みましたが、当時はまだまだ理解不足な点が多く、納得のいく成果まで得られなかった思いがあります。 ところが2018年、私の出身地である北九州のJR折尾駅の高架橋にこのPICフォームが使用されることになり、今ではこの高架橋の下をよく通っています。見上げるとPICフォームに目地が設置されており、あの時卒業研究で検討したことが実現していることに感慨深いものがあります。 1996年東京大学大学院に進学し、岡村甫先生のご指導のもと、自己充填コンクリートにおける分離低減剤の役割をテーマとして博士論文に取り組みました。岡村甫先生には日ごろから、「研究成果は実験回数のlogに比例する」、「実験の量はある点を超えると質に変わる」とのお言葉をいただき、日夜実験に明け暮れた思い出があります。現象の原因について仮説を立て、これを検証する実験を計画し、仮説が正しい場合と間違っていた場合の結果を予測したうえで実験を行うよう厳しく指導を受けました。 実験計画を練る際はお互いのアイデアをグラフに描きながら、長いときは3時間余り一対一で議論を行うこともあり、今思えば大変貴重な機会であったと思います。研究当初は予想した結果にはならず試行錯誤の連続でしたが、終盤には現象の因果関係も把握でき、実験の量が質に転換するところを実感することができました。 1999年助手として長岡技術科学大学に赴任し、丸山久一先生、下村匠先生のもと研究と教育に携わることになりました。最後に大学教員のもう1つの職務である社会貢献での経験を紹介したいと思います。 新潟県内にあるアーチ橋で耐震補強が必要になり、アーチリブの局部座屈を防止するためアーチリブにコンクリートを充填する工法が採用されました。そこで、この充填コンクリートの配合選定に係わることになりました。狭隘なアーチリブへの充填と上部構造の重量増加を抑制するため軽量自己充填コンクリートとなり、これに材料分離抵抗性、高所圧送後の流動性の保持、製造プラントでの安定的製造など多くの要求が加わるなか、施工業者、材料メーカおよび生コンプラントの方々と試験練り、模擬型枠試験、現場における圧送試験など検討と検証を重ね、計画配合を作っていきました。 自己充填コンクリートの配合では、セメント量が増加して温度ひび割れの懸念があったのですが、丸山久一先生から「ひび割れが入ってもアーチリブの中でコンクリートはずれることができないので、局部座屈を防止する性能に影響はないでしょう」とアドバイスを頂いたことが印象に残っています。性能規定型の設計体系では、必要な機能を取捨選択し適切な性能のレベルを設定することが重要であることを認識できた貴重な機会となりました。 以上、学生時代から新人助手時代の思い出です。最後までお読みいただきありがとうございます。 次回は、長岡時代一緒に脱塩工法の研究を行った富士ピー・エスの正木守様にお願いいたします。