継続は力なり

鷲見 英信株式会社エイト日本技術開発
国土インフラ事業部東京支社
国土インフラ部道路・構造グループ
プロジェクトマネージャー
鷲見 英信

私は1985年4月に日本技術開発(現エイト日本技術開発)に入社し、名古屋支社の構造部勤務となり、橋梁設計人生が始まりました。  新入社員当時は平成6年2月の道路橋示方書改定を受け、既設橋の供用荷重照査業務に従事し、右も左もわからないまま、応力頻度測定の現場に出向いたり、単純RC桁橋の上部工照査の手計算を行っていました。当時はPCのスペックが低く、CADも普及していないころで、手書きの図面の綺麗さと作図の難しさを感じたことをよく覚えています。 1998年頃からダム湖に架かる橋梁の設計に携わり、一つの橋梁に対して数年間に渡って基本検討、予備設計、詳細設計まで従事でき、設計の一通りの流れに携われたことは、時間の制約が厳しい昨今では、なかなか経験できない貴重な経験でした。 その際、発注者との日々の打合せや電話でのやりとりのほか、土研へのヒアリングや白鳥大橋の見学に同行したこと等を通して、設計に携わる様々な方と信頼関係を築いて行くことが、仕事をしていくうえで最も重要であることを知ることができました。 その後、上司や先輩に就いて業務を担う補助的な立場から、主担当となる機会が増えたにもかかわらず、考えに自信が持てず、モヤモヤする時期に差し掛かりました。そんな折、自分なりに頑張ることを覚えて、今に至るまでに転機が2度ありました。 1度目は2004年に東京に転勤となったことです。 東京管内は様々な橋梁形式の設計や、厳しい条件下の橋梁計画が多くあり、日々新しい設計にチャレンジすることができました。そんな中、新参者の私とは異なり、周囲のメンバーは多くの業務を抱えていたこともあり、自分で進んでやっていくしかないという自覚を持つことと、がむしゃらに取り組むことで自信が付いてくることが実感できました。 昭和橋(鈑桁橋+鋼管矢板基礎)、中央橋(ED橋+ケーソン基礎)、横浜環状北西線(細幅箱桁橋+鋼製橋脚)、舞浜立体(狭隘施工)、山清路橋(ニールセン橋)、今回御紹介いただいた伊藤さんにお世話になった上小鳥橋(2径間連続ポータルラーメン橋)の設計はどれも異なる特徴があり、施工者さんから教えて頂くことも多くあって特に思い出深いです。  2度目の転機は2009年に会社が合併したことです。 単に人数が増えるというだけではなく、様々な分野の技術者が加わることで、今まで以上の意見を聞けるようになったほか、橋梁以外の知識や業務の幅も広がりました。 現在は、多くの仲間に支えられながら、設計ができることに感謝するばかりです。 改めて振り返ってみてコンサルタントの良いところは、上部~下部~基礎工まで、橋梁設計の一通りに携われることで、どれも奥が深く、長期に渡って勉強できることと、苦労すればするほど、その後に経験を活かせるようになることだと思います。 私の場合、諦めずに様々な課題に取り組むことで、少しずつ幅を広げることができ、現在は主任技術者としての業務対応や、若手技術者の育成を担う立場になれました。 こうした経験を踏まえて、若手技術者には「継続は力なり」という言葉通り、何事も今自分がやれることをあきらめずにやり続けることの重要さを伝えて行きたいと思います。 最後に今後についてですが、新技術に対してアンテナを張って情報収集していくことが必要だと感じています。例えば、橋梁に関する話題としては、手書きだった図がCADの導入後、数十年で3次元化が進んでCIMの導入が始まりました。また、維持管理面では点検ロボットやAIの活用技術の開発が進み、土木技術は今まで以上のスピードで進化を遂げて行くことと思います。 若くない頭でスピードについて行くのは大変ですが、継続は力なりの気持ちを忘れずに情報収集に取り組んで、進化の波に乗り遅れないようにして行きたいと思います。 次は、業務や建設コンサルタンツ協会での活動でお世話になっている、パシフィックコンサルタンツ株式会社の中澤さんにたすきをお渡しします。

愛知製鋼