橋梁災害復旧での感動

野本 昌弘株式会社長大
取締役専務執行役員海外事業本部長
野本 昌弘

近年の頻発する自然災害を見るにつけ、私にとって最も記憶に鮮明な兵庫県南部地震を思い出す。地震は早朝に発生し自宅で寝ている所を、まさに叩き起こされた感じで目が覚め、家族の安否を確認でき安堵したのももつかの間、神戸方面で大変な事になっている事をテレビで知り、ただ呆然とした記憶がある。 地震後は、すぐさま現地踏査に入り、測量、計測など復旧支援に向け動き出した。その中で会社では「国道2号浜手バイパス復旧設計業務」プロジェクト室が立ち上がり、そのメンバーとして参加することとなった。 道路橋の技術基準の見直しで「復旧仕様」が早々に通知されたものの、復旧方針を決めるまでの発注者協議やコンサル間協議で、何度も何度も夜中に及ぶまで議論した事を懐かしく思う。  さらには早々に施工会社が決まり、設計と材料発注や施工が同時並行で進められた。まさに入社以来の超繁忙となった。ただ、何とか早く復旧・復興したいとの思いが、発注者・コンサルタント・施工会社など全員に強く共有できており、さほど辛さを感じず終わって見ればあっという間に設計工期を迎え、工事完了となった。 「浜手バイパス」の開通式への参加とその後の渡り初めで、仕事をやり遂げたという達成感と震災から1年半ほどでこのバイパスが開通した喜び・感動は今までに味わったことのないものであり、最も強く記憶に残っている。 大学の卒業研究では液状化の実験と解析を行っており、地盤が液状化すると、何と簡単に構造物は沈下し、ライフラインは浮き上がるものだなと感心したものだが、それを目の当りにしたのも兵庫県南部地震であった。液状化現象を様々な場所で確認することとなり、この時に忘れていた卒研の記憶と繋がる不思議な感じを思い出した。 振り返れば、橋梁設計をやりたくて長大橋設計センター(現在の長大)へ入社したが、橋梁設計へ携わるまでの3年ほどは、ソフト開発、環境、交通、道路情報管理など多岐に亘る様々な業務を経験させてもらった。すべての業務がとにかく忙しく連日仕事に追われていたことを懐かしく思うとともに、少し遠回りをしたが、他分野をかじったその経験が少なからず役立っているものと思う。 橋梁設計の記憶を手繰ってみると設計の苦労もあるが、むしろ施工時の状況(不安か)や橋梁が完成した喜びが強く印象に残っている。 徳島県の吉野川に架かる四国三郎橋では初の斜張橋に携わり、鋼管矢板基礎のハンマー打設が中々上手くいかず不安を抱き、愛媛県の弓削大橋では海上施工でのFC船によるフーチング・プレキャスト枠架設での施工精度に感心し、兵庫県の市川浜手大橋では採用した鋼殻併用のピアケーソンが無事に沈下したことにホッとする等、期待と不安と安堵が複雑に入り混じった気持ちであったことを思い出す。 幸いなことに設計や工事で多くの橋梁に接することができ、また今では少なくなった吊橋や斜張橋など長大橋梁の施工現場も多く見る機会に恵まれた。近年は国内の新設橋梁や長大橋梁も減少し、維持管理によるインフラの長寿命化への対応や、多発する災害への対応が重要となってきている。 これからの技術者には、今後も起こり得る災害への対応や国内で培った技術を活かしグローバルに活躍されることを期待したいと思う。 次回は株式会社アーバンパイオニア設計の森川勝仁さんにお願いします。

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