株式会社オリエンタルコンサルタンツ 関西支社
副支社長兼構造部部長
三矢 寿
15年ぐらい前の話ですが、息子の同級生の親にどんな仕事をしているのですかと尋ねられたことがあります。橋梁の設計に携わっていることを説明すると「夢のある仕事」をされているのですねと言われたことがあります。その時にはそれ程と思ったのですが、そんな「夢のある仕事」に従事した約30年について記載したいと思います。 平成元年4月にオリエンタルコンサルタンツに入社し、半年間の研修期間を経て大阪支社(現関西支社)に配属となり、夢のある仕事人生が始まりました。新入社員当時はバブル全盛期で名神高速道路の橋梁拡幅設計や神戸淡路鳴門自動車道のアーチ橋の設計等のビックプロジェクトに携わることができました。 その中でも最も印象に残っているのが、入社直後から阪神高速道路湾岸線における鋼床版上のRC高欄のひび割れ対策検討業務に携わり、約4年間調査、解析、要因分析、対策立案、試験施工を繰り返しておりました。 当時を振り返ると、右も左もわからないままにひび割れ調査・応力計測の現場に出向いたり、解析を行っていました。当時はPCやプリンターのスペックが低く、CADなどの作図ソフトも普及していなかったので、フォートランでプログラミングして、ペンプロッターで断面力図や応力図を描いていました。主要因が鋼床版とRC高欄の温度差であることがわかり、対策として10メートル間隔に目地を設けること及び膨張コンクリートを用いることでひび割れの低減になると成果が認められ、標準仕様に採用されたことで誇らしい気持ちになったのを覚えています。 平成5年からは本四公団舞子工事事務所に舞子高架橋の施工管理として出向し、橋梁が施工される過程を目の当たりにすることができ、この経験がその後の設計に生かせていると思います。また、この時に発注者、施工者、同業者など多くの方と知り合うことができ、今でも大きな財産となっています。出向中には兵庫県南部地震を震源地から約15キロの地で自然災害の恐ろしさを経験しました。ご存知のように高架橋の倒壊や落橋など安全神話が崩壊し、公共構造物の安全確保の重要性について改めて痛感しました。 平成9年に会社へ戻ってからは四国横断自動車道、第二名神高速道路、丹波綾部道路などの様々な橋梁の設計に携わる一方で、震災後の道路橋示方書改訂に基づいた耐震補強設計にも携わりました。その後いわゆるバブル崩壊を迎え、公共投資額の減少で計画されていた大型プロジェクトも中止、または延期され、既存ストックの効果的な活用が求められる時代になり、既設橋の調査・点検や補修設計、アセットマネジメントなどの業務にも携わりました。 最近では国の詳細設計業務で管理技術者として従事すると橋歴版に名前を記載してもらえますが、初めて名前を記載してもらっているのを見た時には自分の作品ができたような気持ちになり、責任を果たしたような達成感が得られたことを思い出します。 現在は組織をマネジメントすることが主な職務となっていますが、社会に貢献できる技術者であり続けるとともに、若手技術者には夢のある仕事であることを伝え、担い手確保、育成に努めていきたいと考えています。 次は、舞子高架橋の施工管理として出向して以来、お世話になっている、オリエンタル白石株式会社の井隼俊也さんにたすきをお渡しします。