株式会社横河NSエンジニアリング
工事部 工事第一課課長補佐
髙橋 啓輔
私は就職活動時には橋を架けたいと思うことはなく、ただ道路を作り、自分の運転でそこを走りたい、将来的に家族を乗せ「ここは自分が作ったんだ」と自慢したい。 その思いだけで、大学卒業後にゼネコンの大末建設に入社し土木工事部に配属され最初の現場が本州四国連絡橋公団の神戸淡路鳴門自動車道の淡路島内での土工事区間でした。 当時は、現場監督とは何をするのかも曖昧なイメージしかなく、しょっちゅう怒られていた気がします。 盛土による土工事区間でしたが、新入社員は、毎日が測量・丁張設置の日々でした。 何の測量だったか忘れましたが、ちょっとした誤差があったのですが、これぐらい問題ないだろうとそのまま次の仕事に移動していったのですが、晩に所長にばれ、「誤差や規格値は元請けのためにあるんじゃない!職人のためにあるんだ!」と怒られ、翌日早朝から測量し直したのを覚えています。 この言葉は今でも私の中でいきていて、自分の下に若い子がつくと、自分の言葉かのように偉そうに語っています。 当時は、宿舎が淡路島の北の方にあり、休日のたびに架設中の明石海峡大橋を車で近くまで行き下から見上げていました。 就職前は、橋は道路の一部としか思ってなかったのですが、入社数か月で橋は別物と思うようになりました。 以降の現場も下部工の橋脚が多く、中にはラーメン高架橋や、短いRC床版を施工しましたが、やはり、全面的に地盤から支保工を設置しての床版のだったため、橋どころか、上部工という感覚も少なかったです。 大末建設で14年勤め、いろいろ経験・勉強させてもらったのですが、配属異動があり土木から建築に異動になったのですが、やはり学生時代から思っていた「自分で作った道路を走りたい」の思いは変えることができず、転職することにし、どうせなら上部工へと決め、現在の横河NSエンジニアリングにお世話になることになりました。 下部工から上部工へ、それだけでなく、コンクリートの下部工から鉄の上部工へとなり、思っていた以上に施工方法や図面に違いがあり、ある意味カルチャーショックがありました。 転職後、二現場目が神奈川県の相模川の川幅100メートル以上の所に架ける圏央道の一環を担う橋でした。 ここは曲がり方が一定でない桁の送出しの現場で、縦方向に送出しながら、同時に横方向にも移動させる、複雑な工法の現場でした。 橋梁と言うものを就職前には一切気にしてなく、就職直後に考えるようになり、社会人18年目で、やっと川に架かる橋にたどり着いたという思いでした。 送出し自体の私の役目はそんなに大きなものではなかったのですが、それでも送出しの完了、架設完了、床版施工完了、そして工事自体の完成の時は今までの現場以上に感動がありました。 勿論、上部工の方が高度な仕事をしているという思いは全然なく、今でも高さのあるコンクリート打設や、座標を使っての測量は上部工以上に苦手としていると思います。 狭いヤードで上下部工事が混在して、ギクシャクしている現場は経験ありますが、今後互いの得手不得手をカバーし合える現場、基礎・橋脚から床版まで一括のJV工事があったら面白いと思っています。 今では、道路の上を走るより側道等から橋脚込みで見上げる高架橋がお気に入りです。 次はJV工事でお世話になっている三井住友建設鉄鋼エンジニアリングの小川賢一さんにバトンをお渡しいたします。