(一財)阪神高速先進技術研究所
調査研究部主任研究員
赤松 伸祐
私は2006年にこの業界に就職し、早15年が過ぎようとしています。この間、幾つかの環境や視点から「橋」と関わってきました。大成建設の水谷公昭さんからリレー橋友録のバトンを引き継ぎましたので、この機会に私と橋との関わりを思い起こしたいと思います。 私は大学卒業後、橋梁の設計をしたいという思いから、アーバンパイオニア設計に入社し、主に既設橋の補修や耐震補強設計に携わりました。ここでは、設定された条件で設計し、図面を作成し、数量を算出するという仕事がメインでした。瀬戸大橋の補修に関する業務では、鋼構造の図面を頭の中で3次元化するのに苦労しましたが、読み解けるようになった時には鋼構造の図面の緻密さに感服したものです。 少し仕事を覚えてきたときに、「橋梁は奥深い。常に視野を広く持ちなさい」と上司に言われましたが、当時はあまり理解できませんでした。この言葉の意味は後に知ることになります。 その後、2008年に新日本技研(現:片平新日本技研)に転職し、新設橋の計画から詳細設計を経験しました。それまで扱ってきた既設橋では、様々な制約がある中での設計でしたが、新設橋では橋梁形式や下部工配置に自由度があるため、どのような順序でそれらを決めていくのか頭を悩ませました。 初めて担当した詳細設計は、鳥取西道路の軟弱地盤上に位置する鋼連続少数鈑桁橋でした。多径間の連続化にこだわったこともあり、設計と並行して実施していた地質調査の詳細情報を反映していくうちに、検討段階では成立していた基礎が収束しなくなりました。支承構造を工夫することで構造は成立しましたが、「2連の橋梁にした方が合理的だったかもしれない」と、経験やそれに基づいた判断の重要性を感じました。 供用後、その橋梁を下から眺めながら「見た目に特徴的なところはなくとも、色々な苦労と工夫が盛り込まれている。」と思った時に「橋梁は奥が深い」という言葉を思い出しました。 いくつかの橋梁を設計した後、2012年に独立行政法人土木研究所へ交流研究員として出向する機会を与えられました。平成24年の道路橋示方書の改定直後であり、ここでは、次期改定に向けた部分係数法の導入に関する検討に携わりました。当時上席の村越潤さんや当時大阪大学の小野潔先生には、コードライターとしての基礎を学びました。設計時に何気なく使用していた規定の背景や変遷を知ることができ、これまでと違った角度から橋に関わった2年間でした。 帰任後、再び橋梁の詳細設計に2年間従事した後、2016年に阪神高速道路技術センターに転職し、生まれ育った大阪に戻りました。ここでは、調査研究部に所属し、蓄積された検討の基準化、鋼床版の補修工法の検討、鋳鉄を用いた高耐久床版の研究開発等を手がけるとともに、AIなどの技術を活用して設計不具合の減少や業務効率化を目指す「設計審査支援システム」の開発に取り組んでいます。 阪神高速道路技術センターは、2020年7月に阪神高速先進技術研究所に名称を変えて新たなスタートを切ったところです。これからは、橋梁分野以外の新技術や情報にもアンテナを張り、中長期的な研究テーマや情報通信技術を活用した研究開発にチャレンジし、阪神高速道路を含む道路ネットワークの発展や良好な維持に貢献していきたいと考えています。 次は土木研究所への出向の際にお世話になった、オリエンタルコンサルタンツの有村健太郎さんにバトンをお渡しします。