やっぱり最後は人と人

一瀬 康宏JFEエンジニアリング株式会社
社会インフラ本部橋梁事業部営業部技術企画室部長代理
一瀬 康宏

小学生の頃、身内が建設工事に従事していた本州四国連絡橋因島大橋の主塔工事を見学する機会がありました。 その時はまだ主塔のみの状態であり橋のイメージが沸かずじまいでしたが、因島大橋が開通してから再度訪問した時には島と島が巨大な橋で繋がっているという景色そのものに感動し、それから橋梁という構造物に大きく興味を持つようになりました。 大学時代に構造力学研究室でご指導を受けた堂垣正博先生からは「構造物は全て計算で成り立っている」と、当然ですがとても重要な言葉を何度も言われ、構造力学の奥深さと社会での重要性を教えていただいたことが、今でも私の仕事の基本として根付いています。1994年、当時の日本鋼管工事に入社してからは翌年に発生した阪神淡路大震災での阪神高速道路復旧工事を担当した後、北海道開発局の白鳥大橋、本州四国連絡橋(しまなみ海道)の多々羅大橋および来島第三大橋、三重県の志摩大橋、長崎県の伊王島大橋など、入社時からの希望だった海上架橋工事を数多く担当させていただきました。どの工事も島と島を繋ぐ大型プロジェクトであり、地元の方々に喜んでもらおう!と意気込んで現地に乗り込みましたが、実際は地元の皆さんが様々な悩みを持たれている中での工事でした。 例えば、大ブロック架設での起重機船の航路を確保するため多数の養殖筏の移設が必要、今まで地元の足であったフェリーや海上タクシーなど海上交通の利用客減少、橋を利用して観光客の往来が増えるため島内での交通事故が心配などなど。 今までの暮らしのままでも十分満足だったことが、橋が架かることで逆に困るとお話される地元の方々とも出会う中で、医療・福祉・教育・産業などの向上が図られ生活が便利になるという離島架橋のメリットだけではなく、様々な思いや考え方を学ぶことができました。工事を進めていく中で、どんなことでも賛成の人が半分いれば反対の人も半分いると冷静に自分を見つめ直し、工事に不満を持つ方々の話を聞き、一つでも解決策を見つけられるよう客先に相談などすることで地元住民の方々とのコミュニケーションが少しずつ良好になり、強風の影響で海上の資機材が飛散していないことを毎日の漁の船舶上から気にかけていただけたり、年始の船祝いに呼んでいただけたりと、いつの間にか笑顔で会話できる関係になってたことが大変ありがたく、これまでの工事をうまく完成させることができました。 最近の建設業界では、生産性向上に向けた取り組みとしてICT技術を活用した省人化や省力化が主流となってきていますが、人(客先)に引き渡し、人(地元住民)が利用する以上、今も昔も人と人とのつながりが最後は一番大事ではないかと思っています。 これまで担当してきた橋梁工事を開通後に再度訪れる時間をなかなか確保できていないことはとても残念ですが、現地赴任時にたくさんのお話をさせていただいた地元住民の皆さんが満足されて、生活の一部として当たり前のように橋を受け入れていただいていることを願うばかりです。 さて次回は、来島第三大橋での直下吊り架設において自航台船のデッキ上で出会ってからの長いお付き合いで、同年齢ということもあり橋梁技術向上のため共に切磋琢磨してきた深田サルベージ建設の岩坪英祐さんにバトンをお渡しします。

愛知製鋼