先の衆院選の争点の一つにもなり、来たるべき消費税10%への増税を機に「教育費の無償化」に誰も反対する人はいないし政党もなかろう▼団塊世代の、寒村育ちの本欄記者には、大学はおろか高校進学も容易でない受験期を潜り抜けてきた経験は必ずしも捨てたものでなかった。高校進学はまだしも大学進学は、当時の家庭には金銭的にも高嶺の花。大学へ進学した先輩諸氏は、比較的裕福で田畑などの資産切り売りで、晴れて上京した、という実話ばかりだった。▼本欄記者は隣県のトップ高校に越境入学試験の道を選択。入学した高校は典型的進学校で、生徒の約9割が放課は当然、朝の授業前の課外授業が当前だった。そうした環境に感化され、野球クラブに席を置きながら大学進学がターゲットに▼学費はもとより生活費をどうするか。すると野球部顧問の部長が「東京には牛乳配達でも風呂屋の番台のバイトなどある」と結局、記者は新聞配達のバイトなどをしながら大学に通った。周囲にこうした環境の友達がいたものだ▼当時の授業料年間約150万円あれば、どんなにか親も助かったろうと思う。教育無償化、こんな架け橋は大歓迎だ。▼無論、人格形成などに役立つはずの苦学へのロードはしっかり残しながら。