昭和コンクリート工業株式会社
技術工事本部 PC技術部 PC技術二課 課長
櫻井 義之
私は大学時代に、生涯忘れられない教授に出会いました。教授の専門は、構造力学・連続体力学で、オイラーの梁理論やコーシーの応力公式といった難解な問題を、小学生でもわかるように丁寧に説明してくれました。どんな力学もすべて数学の微分積分や行列から証明するという一風変わった講義でしたが、非常にわかりやすいことで学生の間では有名でした。講義はいつも大人気で教室が学生でいっぱいだったことを覚えています。数学の公式を積み上げて、梁のたわみを算出するまでの過程を根本的に理解することができました。このときに学んだことは、自分にとっての一生の宝物となっています。 近年、橋の設計はパソコンに形状や材料定数の数値を入力すれば〇か×の結果が画面に表示されます。その計算過程をすべて理解することはむつかしいですが、極力、自分の頭で考えるようにしたいと思っています。教授は卒業にあたって次の言葉をくれました。「土木構造物を完成させる上で必要なものは、MissionとPassionである」。今も使命感はありますが、最近、情熱がなくなってきているため、今一度、教授の言葉を思い出して、情熱をもって橋の仕事に取り組みたいと思います。 大学を卒業後、PC橋の施工を行う昭和コンクリート工業に就職して22年が経過しました。主な仕事内容はPC橋の設計で、ときおり現場で施工管理も行ってきました。 就職して最初に着任した工事現場は、第二名神高速道路の三重県亀山市の錐ヶ瀧橋のPC上部工の工事でした。PC橋としては一般的な張出し工法の箱桁です。この現場で2年弱働きましたが、非常に魅力的な人と出会うことができました。協力会社の職長さんです。北海道出身で色白の彼は、外見もかなりの美形ではありましたが、それ以上に、心意気が男前で、周りを惹きつけて人望が厚い人でした。さながら古代中国の戦国七雄の一国、趙で活躍した藺相如といったところでしょうか。生コン打設時は50人を超えるさまざまな業種の作業員さんたちを一つにまとめて上げていました。 結局のところ、彼ができると言えば、その橋は完成するし、彼ができないといえば、橋は完成しないといった感じでした。こういったカリスマ性をもった人が大きな橋梁を完成させる上では必要不可欠なのだと思いました。そして、その後も様々な現場に行きましたが、規模の大小の差こそあれ、橋梁の工事現場では、必ずこうした人間と出会うことになりました。 最近は、現場に出ることも少なくなり、ビルの中で設計業務に励んでいますが、ときどきPC建協の活動や研究会などに参加して、外の空気を吸っています。ここでもまた、多くの魅力的な人たちとの出会いがあります。仕事で困ったときには、そこで知り合った皆さんにお願いして、最近の特殊なPC橋の情報や設計方法などを教えてもらったりしています。こういった交流をしているときが、とても楽しいです。これからも多くの人との出会いを楽しみに仕事を続けていきたいと思います。 それでは、日ごろからお世話になっています安部日鋼工業の國富康志さんへバトンをお渡しします。