ショーボンド建設株式会社
営業本部営業部長
谷岡 大樹
関西大学の土木材料学研究室でご指導いただいた豊福俊英教授のご紹介で現在所属しておりますショーボンド建設株式会社へ入社し、27年が経ちました。四国、中国、中部地方を経て、現在は東京へ。学ぶことの大切さに気づかされるまで漠然と過ごしてきた私は、諸先輩方のご執筆を拝読して恐縮するばかりですが、橋歴書のバトンを手に振り返ってみたいと思います。 平成9年入社後の2年間は技術課へ配属となり、主に橋梁の調査診断報告、震災後に最盛期を迎えていた落橋防止システムの検討補助業務を担当しました。数年後には工事職として国交省の現場へ従事する機会が増え、完工へ向けて没頭することになります。当時は管内に点在する複数の橋梁を対象とした提案型の補修補強対応が多く、打合せに足りる知識を準備するだけで目の回るような日々でした。コンクリート構造、多様な鋼部材、接合部、防食の知識が特に必要となりました。何橋を目にしたでしょう。思えば、国道の橋梁であれば、形式や劣化状況まで頭に入っていました。 鋼・RC・PC橋を問わず、また隧道、桟橋、水路、管路、配水池、学校施設など、構造物に手を触れる機会には恵まれましたが、務めに追われ、些か行儀の悪い時期もあり、愛媛の上司にご迷惑をお掛けしたことを思い出します。常に構造物の延命にこだわりましたが、耐久性への着目に乏しい検査に失望して物申すなど、感謝を知らず、社会人としても未熟な時期を過ごしました。 そんな私が30代半ばで必要に迫られ、出張先宿舎のテレビを撤去して勉強を始めます。入社時の上司に聞かされていた記憶に残る資格「技術士」でした。当時は維持管理といった専門分野は記入例に無かったのですが、実直に記載したことを覚えています。幸運にも初挑戦で筆記をパスして喜んだのも束の間、口頭試験であっさりと不合格。翌年は高知の上司、香川の先輩技術士ほか多くのご指導のおかげで乗り越えられましたが、そこからが大変でした。専門性に秀でた真の技術者との出会いのなかで、自身の無学を知り、さらに知識の習得に追われたことは言うまでもありません。 香川高専の林先生、当時、高専機構にいらした田村先生、国際企業の筒井様、広島で出会った強い父のような上司の存在…。近くで言葉を交わせる機会に恵まれ、成長の一歩目を踏み出せたのはつい先日のことのようですが、気付けば50歳。受注営業や管理業務に触れ、今なお新しい出会いのある「橋」を下から覗いて見上げています。知識は人との関わりの中で磨かれ、ようやく社会に役立つといった場面を目の当たりにする日々です。近年は労働法令にも興味が湧き、他分野の方々との交流が生まれ、より体系的に自身の専門性を説明することが必要となりました。 当社の社内報「かけはし」にも、先人の橋歴が詰まっています。社名「ボンド=繋ぎ」を想起させるこの誌名には世代間や社会とのつながりを強める大切な役割を感じます。是非自身としても、河川の合流点で機能する出合橋のように、常に独学孤陋を見直し、自利利他の精神で恩送りへ臨む所存です。 次号は中部地方でお世話になりましたオオブ工業の山内常務様にバトンをお繋ぎします。