つながりの実感

安仁屋 宗太株式会社イー・エー・ユー
取締役ディレクタ
ー安仁屋 宗太

もともとモノづくりには興味があったのと、社会を支える公共の精神のようなものに惹かれて、大学2年で土木工学科に進みました。入った学科では当時、学部生と修士とで研究室を別にしなければならないルールがありましたので、学部は橋梁研究室、修士は景観研究室にお世話になりました。自らの興味がはっきりしている学生にとっては酷なルールだったようですが、私にとってそれは良かった。今では橋のデザインの仕事に多く関わらせてもらっています。新婚旅行先でついレオンハルトの橋の写真ばかりとってパートナーを呆れ顔にさせてしまったのですが、これは橋好きの間ではあるあるのようです。 さて自分の橋の記憶をたどると、やはり最初に担当したプロジェクトが忘れることができません。就職して3年目くらいだったと思いますが、木曽川にかかる橋の詳細設計に携わりました。地域の期待がかかる新設橋で、有識者を含む検討委員会が設置されプロポーザルそして予備設計と継続して橋のデザインが検討されていました。橋長約600メートルのPC橋というのは私にとってはもちろん初めてで、事務所の先輩や協働した設計コンサルタントの方がたとも議論しながら、大小さまざまな模型をつくって細部形状や素材までさんざん検討しました。市役所の方々もとても意欲的で、原寸確認のためのモックアップを製作したり、地覆に並べるタイルに市民から寄付を募って名前を刻印するというプロジェクトも立ち上がりました。 現場所長Tさんをはじめ施工者みなさんの対応も丁寧で工事も順調に進んでいたのですが、ある時、問題が起こりました。市から急に連絡が入り、「設置し始めた排水管の支持金具が目立つ」と。急いで現場に向かうと、排水管のサイズや配置についてはそれまで委員会でも確認していた通りだったのですが、支持金具の形状やピッチが想定外でした。 後に確認すると発注図面に記載はあったので、これは明らかに事前のデザイン検討で把握できなかった私のミスでした。いつもの定例会議はどんよりとした空気に包まれました。「この先、どうするのですか?」という市からの問いかけに、動転した私はすぐには答えられず、しばらく沈黙が流れました。すると、隣に座っていたコンサルタントのHさんがすくっと立ち上がり、「設計のミスです」と頭を深く下げてくださったのです。その後すぐに別案を検討し、施工者さんにも協力いただいて支持金具を差し替えました。予定通りに催された開通イベントには大勢の市民が参加され、刻印タイルには県内外あわせて3000人以上もの応募がありました。 この橋では関係者に支えられ、私自身いろいろな経験させていただきました。他のプロジェクトを経てさらに実感しますが、目的意識を共有し、互い尊重しあう発注者・施工者・設計者の連携が、良い橋をつくるには欠かせないと思います。さらに、これからの橋には地域や市民とどうつながりを作るのかも大事なテーマの一つです。私もデザイナーの立場としてそのつなぎ役になり、良い橋づくりに関わっていきたいと思います。 次は、最近学会活動でもご一緒している同志、パシフィックコンサルタンツの石原大作さんにつなぎます。

愛知製鋼